重要文化財の茶室 1

重要文化財の茶室

江戸期以前

指定番号
指定年月日
登録名|茶室名
好・作
年 代
所在地
特 徴
http:
備 考
00016
1897.12.28(明治30.12.28)
醍醐寺三宝院 松月亭|しょうげつてい
松涛庵道本
慶長年中|1596〜1615年?
京都市伏見区醍醐東大路町22
草庵|四畳半|奥宸殿の東北側に席の一部が池中に張り出すように建ち、東側壁中央に直径4尺7寸5分(1440㎜)程の大きな丸窓があるのが特徴。南側の躙り口前、池中に手水鉢を設け、臨泉の茶亭としての趣を呈する。床前畳を点前座として炉を上手切に配し他の四畳半席と異なる形式をとる。
daigoji.or.jp/grounds/sanboin.html
通常非公開
00110
1900.04.07(明治33.04.07)
眞珠庵通仙院・庭玉軒|ていぎょくけん
金森宗和※
江戸前期|1615-1660
京都市北区紫野大徳寺町
草庵|二畳台目、水屋、土間より成る|大徳寺方丈真珠庵内通仙院東北に位置する庭玉軒。席前には席と同幅、奥行き4.75尺(1440㎜)の壁で囲われた突上窓が入る軒天井付きの土間(前庭)があり南側、高さ800㎜ほどの潜戸から土間に入り高さ約1485㎜の貴人口より入席する。土間西側には潜戸と同程度の高さの竹羽目開戸も設けられる。
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通常非公開
00244
1903.04.15(明治36.04.15)
孤篷庵茶室・山雲床|さんうんじょう
小堀遠州
寛政11年|1799
京都市北区紫野大徳寺町
書院式|四畳半台目|龍光院・密庵席の写しであるが点前座前の付書院風密庵床と床前の違棚は無く西側の欄干付き縁は土間に替わり貴人口より入席。角柱や長押、張付壁、腰高障子という書院風の意匠は表現されている。
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通常非公開
00244
1903.04.15(明治36.04.15)
孤篷庵茶室・忘筌|ぼうせん
小堀遠州
寛永20年|1643年?
京都市北区紫野大徳寺町
書院式|十二畳|大徳寺西橋に建つ孤篷庵の一室、角柱長押付で天井高は8尺3寸4分(2,527㎜)と高く、手前座と一間の床間が東側に並ぶ。西側の席に接する板縁それに続く土間には巧みな位置と大きさで障子が入り庭へと繋ぐ。
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通常非公開
00443
1907.08.28(明治40.08.28)
西芳寺・湘南亭|しょうなんてい
千少庵
天正年中|1573-1614年
京都市西京区松尾神ケ谷町56
草庵式|四畳台目|「苔寺」の名で広く知られる西方寺の南端に建つ。点前座の脇に床間が備わる亭主床、風呂先には付書院、土間庇内の貴人口さらには凡そ間口4m奥行2m屋根付、土天井の広縁へと繋がる。この開放的な席は立地条件からも回遊式林泉を楽しむ茶室と考えられる。
saihoji-kokedera.com
※オンライン・往復はがきによる事前予約制(令和7年現在)
00756
1922.04.13(大正11.04.13)
黄梅院・咋夢軒|さくむけん
伝武野紹鴎
天正年中|1573-1614
京都市北区紫野大徳寺町83-1
書院式|四畳半 囲式|大徳寺黄梅院北西に位置する書院自休軒は南北に各4室並び、周囲は外縁が囲う。北側4室の内一室が昨夢軒で三方は座敷で囲まれ北側の床間は外縁にはみ出し西側に墨跡窓が開く。
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通常非公開|特別公開期間あり
00819
1926.04.19(大正15.04.19)
水無瀬神宮茶室・燈心席/燈心亭|とうしんせき/とうしんてい
後水尾天皇
延宝8年|1680年以前
大阪府三島郡島本町広瀬3丁目
草庵に書院風を加える|三畳台目|御所から移築したと伝わる同茶室の天井は、格天井に萩、山吹、木賊(とくさ)、芦、太蘭(いぐさ)、苧穀(おがら)、寒竹など灯芯に使われる七種の草木を用いていることからの名称。昭和初期以前は「七草の席」とよばれた。正面の床間と床脇棚が並び、右手前直角に設けた給仕口上部には印象的な曲木が入る。
minasejingu.jp
要予約 ※詳細は水無瀬神宮まで
00833
1927.04.25(昭和2.04.25)
伏見稲荷大社・御茶屋|おちゃや
後水尾天皇
寛永年中|1624〜1644年?
京都府京都市伏見区深草薮ノ内町
書院式|七畳+八畳|元仙洞御所内あった、この御茶屋は七畳敷きの一の間と八畳の次の間が東西に並び西端が玄関となる。七畳敷茶室は東に一間の床間、左脇に違棚が付き、北は広縁へと繋がり南側の板縁には花頭窓のある付書院がはみ出して設けられている。
inari.jp
非公開
00890
1931.12.14(昭和6.12.14)
三渓園・春草廬|しゅんそうろう
織田有楽
江戸前期|1615-1660
神奈川県横浜市中区本牧三之谷58番1号
草案式|三畳台目|かつて伏見城内殿館・月華殿に付属した数寄屋で大正11年京都から現在地に移築。戦時中には一時解体され戦後、現在地に再築された。席には連子窓と下地窓が9箇所あり別名「九窓亭」とも呼ばれた。
sankeien.or.jp/learn/facilities/shunsouro
通常内部非公開|有料貸出可能
00944
1935.05.13(昭和10.05.13)
※當麻寺|中之坊書院・丸窓席|まるまどせき
片桐石州?
慶安年中|1648〜1651年
奈良県葛城市當麻1263
草庵式|四畳半|後西院陛下をお迎えするために造られた茶室。南側左端に片開きの躙口があり内部に片引の障子が入る。正面左には長辺で七寸ほどの三角板を用いた蹴込床に竹の床柱と落掛が入る。その右側に直径1.6mの大円窓を設け裏側に引違障子が入り隣室(侍者の間)へと繋がる。
taimadera.org
丸窓席は通常非公開・特別公開あり
※文化財データベースでは「中之坊書院」で登録
00956
1936.04.20(昭和11.04.20)
高台寺・傘亭|かさてい(安閑窟)および時雨亭|しぐれてい
千利休?/豊臣秀吉?/小堀遠州?
文禄4年|1595年頃?
京都市東山区 高台寺下河原町526
茶亭式|千利休作ともされる安閑屈は共に山上にあった一亭を移築される際、小堀遠州好の土縁でつながれ安閑屈が傘亭、一亭は時雨亭と対語となったと考えられている。傘亭はその名の通り和傘を開いたような屋根の構造にあり、時雨亭は雨の日でも窓を開けられる蔀戸にあるとも考えられる。
kodaiji.com
入室不可
00957
1936.04.20(昭和11.04.20)
金地院茶室・八窓の席|やつまどのせき
小堀遠州
寛永5年|1628年頃
京都市左京区南禅寺福地町
草庵式|三畳台目|金地院方丈は伏見城殿館の一部を移築した建物。大書院東、小書院北側に小堀遠州の指図にて建てられた茶室。もとは八窓の席と称されたが明治時代の修復の際に六窓となる。床間には長さ4尺1寸7分、高さ2寸6分、上幅1寸5分の素焼きに黒漆を塗った床框が入り、躙口前には板縁が設置され刀掛けもこの板縁の中に取り付けられる。
南禅寺:nanzenji.or.jp
拝観:事前予約制|電話・往復はがき
00962
1936.09.18(昭和11.09.18)
中島公園・八窓庵|はっそうあん(旧舎那院忘筌)
小堀遠州
寛永年中|1624〜1644年?
北海道札幌市中央区南一条西四丁目中島公園内
草庵式|二畳台目|小堀家の菩提所、孤篷庵に創建された後4回も移築され現在にいたり保存されてきた貴重な名席である。窓は躙口上に2箇所、床前の側壁に2箇所、点前座の風炉先窓・色紙窓の2箇所、掛込天井には突上窓が付き8箇所の窓がある。躙口両側に袖壁を設け出庇が付く。
city.sapporo.jp/ncms/shimin/bunkazai/bunkazai/syousai/06k_hassoan
休館日:冬季間(11月上旬~4月下旬)
00971
1937.07.29(昭和12.07.29)
曼殊院・八窓軒|はっそうけん
良尚法親王
明暦2年|1656年?
京都市左京区一乗寺竹ノ内町42
草庵式|三畳台目|曼殊院・小書院北東に位置し庭園も当初のまま保存されている。同席は桂離宮内の松琴亭と相似し東面に躙口を設け窓も連子窓3箇所、下地窓4箇所突上窓の8窓となる。点前座脇には上部に連子窓を入れ下部には洞庫風の板戸を意匠的に建込んでいると思われる。
manshuinmonzeki.jp
通常非公開
00990
1938.07.04(昭和13.07.04)
成巽閣・清香軒|せいこうけん
前田斉泰
文久3年|1863年
石川県金沢市兼六町1番2号
草庵式|三畳台目|成巽閣創建時より建物に組み込まれていた、この茶室の引違い戸の貴人口と躙口は直角に位置し、深さ約1800㎜の土間庇付きで「飛鶴庭」の遣水が取り込まれた内露地に面する。床間は原叟床(げんそうどこ)といわれる踏込床で地板には樟杢(くすのきもく)の1枚板が使われ四方竹の床柱は床脇の炉より、おおよそ270㎜地板内に立つ。
manshuinmonzeki.jp
通常非公開|特別公開期間あり
01014
1941.05.08(昭和16.05.08)
大徳寺 聚光院茶室・閑隠席|かんいんのせき
如心斉
元文5年|1740年
京都市北区紫野大徳寺町58
草庵式|三畳|千宗左が千利休150回忌に当寺へ寄進したと記録が残る茶室。躙口は西面にあり両側に袖壁が付く。席は非常に簡素な構成で深三畳の北側下座に床間があり点前座は1畳の丸畳に真直な赤松皮付丸太の中柱が立つ、袖壁には風呂先に二重棚が釣られ東側には花頭の茶道口は三畳の水屋へ通じる。
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通常非公開|特別公開あり
01014
1941.05.08(昭和16.05.08)
大徳寺 聚光院茶室・枡床席|ますどこのせき
了々斎
文化7年|1810年
京都市北区紫野大徳寺町58
草庵式|四畳|別名「半方庵」とも称するこの席は了々斎が閑隠席を修補した際、覚々斎好みの枡床の席を写したともいわれ水屋もこの時に造られた。席名由来の枡床は北側に位置し畳半畳大の地板を畳高で入れた、いわゆる踏込床である。床間と並ぶ貴人口は鴨居高1288㎜と低く、その先は深い軒が付く土間となる。
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通常非公開|特別公開あり
01015
1941.05.08(昭和16.05.08)
大徳寺 玉林院・蓑庵|さあん
鴻池宗貞(了瑛)/如心斎
寛保2年|1742年
京都市北区紫野大徳寺町74
草庵式|三畳中板入|蓑庵は南明庵廊下をはさみ西側にあり西側のにじり口より入る。席は三畳、客座と手前座の間には炉縁幅と同寸の松板の地板を配し出炉の形式に切ってある。亭主は西向き点前する蓑庵は茶席にて先祖を礼拝する目的で考えられた茶室であろう。
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通常非公開|特別公開あり
01015
1941.05.08(昭和16.05.08)
大徳寺 玉林院・霞床席|かすみどこのせき
鴻池宗貞(了瑛)/如心斎
寛保2年|1742年
京都市北区紫野大徳寺町74
書院式|四畳半|玉林院南明庵の東側に隣接する。幅1間の床間大平壁には横幅いっぱいの富士山の軸が掛り手前に約100㎜の隙間を空け、ほぼ中央の高さの違い棚を霞に見立てたことから席名になったようですが、この席は当初より床間に日本の象徴である富士山の絵を飾るために造られ、絵に合わせ違棚の高さ位置、大きさを決めたと想像してもよいだろう。
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通常非公開|特別公開あり
01016
1941.05.08(昭和16.05.08)
西翁院茶室・澱看席|よどみのせき
藤村庸軒
貞享3年|1685年頃
京都市左京区黒谷町
草庵式|三畳|刈込垣をめぐらせた内露地に面する席前は左端の躙口上部に一間幅の連子窓と、おおよそ一間四方の屋根がつく。客座と点前座の境には、高さがおおよそ1500㎜の壁に1200㎜高の花頭口をつくり太鼓襖が入る。点前座正面の風炉先窓は相模見窓といい、左手壁には下地窓の淀看の窓が入る。
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通常非公開|特別公開あり
01019
1941.05.08(昭和16.05.08)
有澤山荘・菅田庵|かんでんあん
松平不味
寛政4年|1792年頃
島根県松江市菅田町106番地
草庵式|一畳台目中板入|墨跡窓がつく欅の板床は洞床で床框には中板と同じ幅の袖壁が付き下り壁へとつながる。点前座には風炉先窓入り桐の一重棚が12㎜角の吊り木で吊られている。西側の茶道口は上部を袴腰の形で南側には直径約600㎜の下地窓の丸窓が入る。
kanden-an.jp
公開|定休日、臨時休業あり
01019
1941.05.08(昭和16.05.08)
有澤山荘・向月亭|こうげつてい
松平瓢庵(斉恒)
寛政4年|1792年頃
島根県松江市菅田町106番地
書院式|四畳半台目|菅田庵の西に接する三畳水屋の南に位置し、東南に折れ回る畳縁に囲まれ先には簀子縁さらに雲がたなびくように短冊形の延段※が印象的な砂利を敷き詰めた庭へと通じる。東には引違い、南には両開きの障子が入り山荘の中でも最も眺望が利く位置に建ち仲秋の月見に最適で亭の名もこれによるという、この席は月を楽しむ演出で満ちている。
kanden-an.jp
公開|定休日、臨時休業あり

※延段:石を敷き詰めた庭の通路

01067
1944.09.05 昭和19.09.05
慈光院茶室・高林庵|こうりんあん
片桐石州
寛文4年|1664年
奈良県大和郡山市小泉町865番地
草庵式|二畳台目|茶の湯で人を招く場合に必要な場所を全て揃え、境内全体が一つの茶席として造られた慈光院の中に建つ書院の東北部に位置する。東の躙口は少々大きく角柱から小壁を付け上部には茶席幅一杯に連子窓が入る。ほぼ正面に櫟皮付の中柱を通して点前座の奥に四尺床が見え、さらに左手には引違いのふすまが入り二畳の次の間へと通じる。
kcn.ne.jp/~jikoin
公開|入室不可

※櫟:くぬぎ

01067
1944.09.05 昭和19.09.05
慈光院茶室・閑茶室|かんちゃしつ
片桐石州|千道安
寛文4年|1664年
奈良県大和郡山市小泉町865番地
草庵式|三畳向板入|高林庵茶道口より西方向、北に面する板縁の先に大きな下地窓の丸窓が見える。脇には引違いの障子が入る。この大丸窓は閑茶室の風炉先窓で引違い障子は当席の貴人口となる。三畳大の席に向板が入り点前畳は台目畳より大きく逆勝手向切の風炉が入る。貴人口正面には塗り回し壁の踏込床がつく。
kcn.ne.jp/~jikoin
公開|入室不可
01164
1952.03.29(昭和27.03.29)
角屋茶室・曲木亭|きょくぼくてい
伝 覚々斎
江戸時代前期|1688年頃
京都市下京区西新屋敷揚屋町32
庭園建築|板の間|茶室というより中国や東アジアの庭園に建つ六角形や八角形などの「亭」あるいは欧州「ガゼボ(gazebo)」の趣がある高床式の建物。六角形の1/4を切り取った平面形にて北が短辺、南が長辺にて臥龍松に向く東北が斜で開放しており前には櫛形の縁台がつく。柱や梁には随所に自然の曲木が使われ亭名の由来となる。
sumiyaho.sakura.ne.jp
原則非公開
01164
1952.03.29(昭和27.03.29)
角屋茶室・清隠|せいいん/清隠斎|せいいんさい
安富常通(清隠斎)
天明年間|1781〜1789年移築
京都市下京区西新屋敷揚屋町32
草庵式|二畳台目三角向板入|一畳台目席ではあるが揚屋に建つ茶室らしく、なんとも艷やかで遊び心豊かな茶席と感じる平面構成である。三角の向板や両脇に小壁が付く三尺幅の洞床、台目大の水屋と、それを矩形に囲む縁の巧みな構成であろう。特徴的な三角向板は藪内家「雲脚席」でも使われている。
sumiyaho.sakura.ne.jp
原則非公開
01582
1964.05.26(昭和39.05.26)
旧一条恵観山荘・御茶屋|おちゃや
一条恵観
正保年中頃|1645〜1648年頃
神奈川県 鎌倉市浄明寺5-1-10
草庵(数寄式)|深四畳・三畳・四畳半|慶安5年(1652)一条昭良(後に出家し恵観)自身が設計し京都西賀茂に創建した茶室と伝わり昭和34年(1652)現在地へ移築。南北の梁間3間半、桁行6間半の建物で内部は随所に数寄心を凝らした風雅な貴族好みの茶室。建物中央の北から主室の「鎖の間」・六畳・「宗和棚の間」・三畳・「止観の間」と並ぶ。
ekan-sanso.jp
通常非公開|指定日開催(事前予約制・別料金)
01913
1937.07.29(昭和12.07.29)
仁和寺・遼廓亭|りょうかくてい
尾形光琳
延宝年中(1673〜1681)
京都府京都市右京区御室大内33
草庵式|二畳半台目|尾形光琳好みのこの建物は門前竪町の何似(かじ)宅より天保年間に現在地へ移築したと伝わる。外観は四方正面といわれるほど端正な建物であり遼廓亭は、この中の一室で平面構成は「如庵」の写しと思われるが有楽窓は連子窓、茶道口は花頭口の形式、床柱は香節の面付丸太、床框は木地の面取りを用いるなど細部には異なった表情を見せている。
ninnaji.jp
通常非公開|特別公開あり(要予約:往復はがき)
01913
1937.07.29(昭和12.07.29)
仁和寺・飛濤亭|ひとうてい
光格天皇
寛政年中(1789〜1801)
京都府京都市右京区御室大内33
草庵式|四畳半|宸殿北庭の築山にあり池泉の辺りに建つ入母屋造、茅葺屋根の茶室。傍らに今は無き老木が池面にまで枝が伸び小波が枝先で飛び散るがごとき様子に因む。南西角矩曲に高さ四尺八寸の引違い障子が入り南側が貴人口、北側の床間は踏込板敷の洞床で、その間には丸窓の下地窓が付く。
ninnaji.jp
通常非公開|特別公開あり(要予約:往復はがき)
01925
1974.02.05(昭和49.02.05)
門脇家住宅|かどわきけじゅうたく
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明和6年|1769年
鳥取県西伯郡大山町所子360番地
草庵式|三畳|門脇家は大山の西北山麓にあり、江戸時代には大庄屋を勤めた。茶室は主屋から東へ突出し、躙口は隅柱から小壁を付けあけられるが、上部の連子窓は一間の客座の柱間一杯にあき、躙口正面にも明かり障子2枚建てにし開放的な構成である。左手には9cmほどの小壁をつけ相手柱が立ち半間の床には隅丸の墨跡窓が付き塗回しの室床に赤松皮付の床柱に杉丸太の床框が入る。床に対面する点前座は丸畳を敷き込み、湾曲した赤松皮付きの中柱は無目と重なり小壁と下り壁とが一体となる。炉は上げ台目に切りにて風炉先窓があく。
鳥取大山観光ガイド|tourismdaisen.com/spot/1-copy
通常非公開|特別公開あり
01999
1976.05.20(昭和51.05.20)
表千家祖堂|おもてせんけ そどう
啐啄斎/吸江斎再興
寛政元年|1789年/天明8年|1788以降再興
京都市上京区小川通寺之内上る本法寺前町597番地
草庵式|四畳半/一畳台目|天明8年、3万7千軒焼失した京都史上最大の火事とされる天明の大火後に吸江斎が再興したと伝わる。祖堂には四畳半大の席「点雪堂」には脇床間が付く4尺四方の上段の間の正面に直径約1mの丸窓を空け利休像を安置している。廊下を挟み一畳台目向板向切の反古張の席、水屋さらに清めの場と思われる沐浴場と三畳間からなる。
omotesenke.com
原則非公開
02000
1976.05.20(昭和51.05.20)
裏千家住宅|うらせんけじゅうたく
千宗旦 千仙叟
天保10年|1839年頃、寒雲亭/天明8年|1788年
京都市上京区小川通寺之内上る本法寺前町613番地
数寄屋造りで大規模な茶匠の住宅。利休像を安置する利休堂、最も重要な茶室である四畳半の又隠と一畳台目向板付の今日庵をはじめとして十二畳の抛筌斎や八畳の咄々斎、一辺一尺八寸の炉が切られた大炉の間、今日庵に続く寒雲亭や溜精軒他、多くの茶室と玄関、台所などから構成される。
omotesenke.com
原則非公開
02001
1976.05.20(昭和51.05.20)
薮内家・燕庵|えんあん/えんなん
古田織部
天保2年|1831年頃
京都市下京区西洞院通正面下る鍛冶屋町430番地
草庵式|三畳台目茶室(相伴席付)|藪内家を象徴する茶室燕庵は初代藪内剣仲好みの席と伝わる。東側床間左手に給仕口がある一畳相伴席は貴人を招いた時、襖を外し相伴席の畳をとって円座を敷き敷居内側を上段、相伴席を下段に見立て使うことや茶道口の方立に用いた竹、点前座中柱の皮付赤松、色紙窓など独特の創意工夫が詰まる茶席。
yabunouchi-ennan.or.jp
原則非公開|特別見学会あり
02231
1990.03.19(平成2.03.19)
天徳寺|てんとくじ・書院|しょいん
 ー
文化3年|1806年
秋田県秋田市泉三嶽根
※)天徳寺は、秋田藩主佐竹氏の菩提寺で、曹洞宗に属し、常陸佐竹氏の秋田転封にともなって、この地に移転した。境内には本堂、書院、山門、総門などがあって往時の伽藍の姿をよくとどめている。本堂は規模が大きな茅葺の堂である。間取りは八室構成で、その前面に土間を配し、曹洞宗本堂の特徴をもっている。書院は上段の間や茶室などを備え、藩主墓参のさいには休息所となった。総門、山門は蟇股、木鼻など細部に常陸地方の中世社寺建築の特徴が受け継がれている。
facebook.com/tentokuzi/?ref=page_internal
公開|詳細は要確認
02305
1953.11.14(昭和28.11.14)
浄土寺・露滴庵|ろてきあん
薮内紹智
慶長初年|1596年頃?
広島県尾道市東久保町
草庵式|三畳台目茶室(相伴席付)|浄土寺は尾道市に建ち草創は聖徳太子の開祖と伝えられ中国地方屈指の古刹に建つ露滴庵は安土桃山城より移築されたと伝わり燕庵形式として現存する最古の茶室。三畳台目出炉形式の席に相伴席が付き三角地板に花頭の給仕口が開く、先には廊下を挟み覚々斎好みともいわれる枡床の席が斜めに接する。
ermjp.com/j/temple
通常非公開|一般公開あり
02450
2004.07.06(平成16.07.06)
旧大國家住宅|おおくにけじゅうたく
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宝暦10年|1760年〜
岡山県和気郡和気町尺所38番地
※)旧大國家住宅は、中国地方東部を代表する大庄屋格の住居のひとつで、江戸後期から末期にかけての屋敷構成をよく保持する。主屋は宝暦10年(1760)に建てられ数度の増改築を経て江戸末期頃に現在の姿になったと考えられる。享和元年(1801)に完成した蔵座敷には床・棚を備えた北側の座敷を御成の間と称し、この南に茶室を配し、南側に座敷二室を配する。
和気町:town.wake.lg.jp
現所有者:和気町
通常非公開|年数回公開
02518
2007.12.04(平成19.12.04)
竹村家住宅|たけむらけじゅうたく
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安永9年|1780年頃
高知県高岡郡佐川町甲字東町1301番地
※)竹村家は明和7年(1770)に「黒金屋」の屋号と酒造を許され、この頃から本格的に酒造業を始めた佐川屈指の商家であったことが知られる。屋敷地を街路沿いの東南角地に構え、南面する主屋は、安永9年(1780)頃建築の東側の店舗部と天保9年(1838)に改築されたとみられる西側の座敷部からなる。座敷部西棟は東側に南から、式台、玄関、廊下、茶室、西側に次の間、上の間を並べ次の間正面に板敷の外縁、上の間背面に畳敷の内縁を設ける。竹村家住宅は、幕府巡見使の宿所とされ、武家住宅に準ずる上質な座敷を備え土佐でしか見られない独特の建築様式も残される。
佐川くろがねの会:kochikankoguide.jp
所有者: ー
見学可|要予約(詳しくは「くろがねの会」まで)
02553
2009.12.08(平成21.12.08)
草野家住宅|くさのけじゅうたく・隠宅蔵|いんたくぐら
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江戸後期|1751-1829
大分県日田市豆田町127番地
※)主屋後方に位置する客間部、隠宅部などは幕末から明治・大正期にかけて増築されたもので、庭園とは一体となった明るく開放的な構成をもち、玄関部や店舗部とは対照的な造りとなっています。こうした開放的空間構成や、文人画の小襖、竹、唐木、奇木などの材種で華やかに整えられた室内意匠には当時日田で親しまれた煎茶席の建築的特徴が認められます。
kusanohonke.jp/aboutus
所有者:草野家
原則非公開|一般公開:年4回
02613
2014.09.18(平成26.09.18)
濱口家住宅|はまぐちけじゅうたく
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文化11年|1814年
和歌山県有田郡広川町大字広字南市場1292番
※)濱口家住宅は、江戸で醤油問屋を営んだ豪商の本宅で、広大な屋敷地に主屋や御風楼など多数の建造物が保持されている。このうち御風楼は、明治末期の経済人の趣味を反映した大規模で上質な近代和風建築であり、平面構成、内部意匠、細部造作とも独創性に富み質が高い。また、近世に遡る主屋や本座敷のほか、御風楼や土蔵群などが建築され明治以降に拡張された屋敷構えは、地域を代表する商家の近世から近代に至る発展過程を示すものとして価値が高く、土地と併せて保存を図る。
tohin-shokurin.com/news
所有者:一般財団法人東濱口家住宅保護財団、広川町
通常非公開|公開期間あり(はがきによる事前申込)

※)文化庁:文化財データベースより抜粋・引用