京都の茶室

京都の茶室

指定番号
指定年月日
登録名|茶室名
好・作
年 代
所在地
特 徴
http:
備 考
00016
1897.12.28(明治30.12.28)
醍醐寺三宝院 松月亭|しょうげつてい
松涛庵道本
慶長年中|1596〜1615年?
京都市伏見区醍醐東大路町22
草庵|四畳半|奥宸殿の東北側に席の一部が池中に張り出すように建ち、東側壁中央に直径4尺7寸5分(1440㎜)程の大きな丸窓があるのが特徴。南側の躙り口前、池中に手水鉢を設け、臨泉の茶亭としての趣を呈する。床前畳を点前座として炉を上手切に配し他の四畳半席と異なる形式をとる。
daigoji.or.jp/grounds/sanboin.html
通常非公開
00110
1900.04.07(明治33.04.07)
眞珠庵通仙院・庭玉軒|ていぎょくけん
金森宗和※
江戸前期|1615-1660
京都市北区紫野大徳寺町
草庵|二畳台目、水屋、土間より成る|大徳寺方丈真珠庵内通仙院東北に位置する庭玉軒。席前には席と同幅、奥行き4.75尺(1440㎜)の壁で囲われた突上窓が入る軒天井付きの土間(前庭)があり南側、高さ800㎜ほどの潜戸から土間に入り高さ約1485㎜の貴人口より入席する。土間西側には潜戸と同程度の高さの竹羽目開戸も設けられる。
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通常非公開
00244
1903.04.15(明治36.04.15)
孤篷庵茶室・山雲床|さんうんじょう
小堀遠州
寛政11年|1799
京都市北区紫野大徳寺町
書院式|四畳半台目|龍光院・密庵席の写しであるが点前座前の付書院風密庵床と床前の違棚は無く西側の欄干付き縁は土間に替わり貴人口より入席。角柱や長押、張付壁、腰高障子という書院風の意匠は表現されている。
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通常非公開
00244
1903.04.15(明治36.04.15)
孤篷庵茶室・忘筌|ぼうせん
小堀遠州
寛永20年|1643年?
京都市北区紫野大徳寺町
書院式|十二畳|大徳寺西橋に建つ孤篷庵の一室、角柱長押付で天井高は8尺3寸4分(2,527㎜)と高く、手前座と一間の床間が東側に並ぶ。西側の席に接する板縁それに続く土間には巧みな位置と大きさで障子が入り庭へと繋ぐ。
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通常非公開
00443
1907.08.28(明治40.08.28)
西芳寺・湘南亭|しょうなんてい
千少庵
天正年中|1573-1614年
京都市西京区松尾神ケ谷町56
草庵式|四畳台目|「苔寺」の名で広く知られる西方寺の南端に建つ。点前座の脇に床間が備わる亭主床、風呂先には付書院、土間庇内の貴人口さらには凡そ間口4m奥行2m屋根付、土天井の広縁へと繋がる。この開放的な席は立地条件からも回遊式林泉を楽しむ茶室と考えられる。
saihoji-kokedera.com
※オンライン・往復はがきによる事前予約制(令和7年現在)
00756
1922.04.13(大正11.04.13)
黄梅院・咋夢軒|さくむけん
伝武野紹鴎
天正年中|1573-1614
京都市北区紫野大徳寺町83-1
書院式|四畳半 囲式|大徳寺黄梅院北西に位置する書院自休軒は南北に各4室並び、周囲は外縁が囲う。北側4室の内一室が昨夢軒で三方は座敷で囲まれ北側の床間は外縁にはみ出し西側に墨跡窓が開く。
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通常非公開|特別公開期間あり
00833
1927.04.25(昭和2.04.25)
伏見稲荷大社・御茶屋|おちゃや
後水尾天皇
寛永年中|1624〜1644年?
京都府京都市伏見区深草薮ノ内町
書院式|七畳+八畳|元仙洞御所内あった、この御茶屋は七畳敷きの一の間と八畳の次の間が東西に並び西端が玄関となる。七畳敷茶室は東に一間の床間、左脇に違棚が付き、北は広縁へと繋がり南側の板縁には花頭窓のある付書院がはみ出して設けられている。
inari.jp
非公開
00956
1936.04.20(昭和11.04.20)
高台寺・傘亭|かさてい(安閑窟)および時雨亭|しぐれてい
千利休?/豊臣秀吉?/小堀遠州?
文禄4年|1595年頃?
京都市東山区 高台寺下河原町526
茶亭式|千利休作ともされる安閑屈は共に山上にあった一亭を移築される際、小堀遠州好の土縁でつながれ安閑屈が傘亭、一亭は時雨亭と対語となったと考えられている。傘亭はその名の通り和傘を開いたような屋根の構造にあり、時雨亭は雨の日でも窓を開けられる蔀戸にあるとも考えられる。
kodaiji.com
入室不可
00957
1936.04.20(昭和11.04.20)
金地院茶室・八窓の席|やつまどのせき
小堀遠州
寛永5年|1628年頃
京都市左京区南禅寺福地町
草庵式|三畳台目|金地院方丈は伏見城殿館の一部を移築した建物。大書院東、小書院北側に小堀遠州の指図にて建てられた茶室。もとは八窓の席と称されたが明治時代の修復の際に六窓となる。床間には長さ4尺1寸7分、高さ2寸6分、上幅1寸5分の素焼きに黒漆を塗った床框が入り、躙口前には板縁が設置され刀掛けもこの板縁の中に取り付けられる。
南禅寺:nanzenji.or.jp
拝観:事前予約制|電話・往復はがき
00971
1937.07.29(昭和12.07.29)
曼殊院・八窓軒|はっそうけん
良尚法親王
明暦2年|1656年?
京都市左京区一乗寺竹ノ内町42
草庵式|三畳台目|曼殊院・小書院北東に位置し庭園も当初のまま保存されている。同席は桂離宮内の松琴亭と相似し東面に躙口を設け窓も連子窓3箇所、下地窓4箇所突上窓の8窓となる。点前座脇には上部に連子窓を入れ下部には洞庫風の板戸を意匠的に建込んでいると思われる。
manshuinmonzeki.jp
通常非公開
01014
1941.05.08(昭和16.05.08)
大徳寺 聚光院茶室・閑隠席|かんいんのせき
如心斉
元文5年|1740年
京都市北区紫野大徳寺町58
草庵式|三畳|千宗左が千利休150回忌に当寺へ寄進したと記録が残る茶室。躙口は西面にあり両側に袖壁が付く。席は非常に簡素な構成で深三畳の北側下座に床間があり点前座は1畳の丸畳に真直な赤松皮付丸太の中柱が立つ、袖壁には風呂先に二重棚が釣られ東側には花頭の茶道口は三畳の水屋へ通じる。
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通常非公開|特別公開あり
01014
1941.05.08(昭和16.05.08)
大徳寺 聚光院茶室・枡床席|ますどこのせき
了々斎
文化7年|1810年
京都市北区紫野大徳寺町58
草庵式|四畳|別名「半方庵」とも称するこの席は了々斎が閑隠席を修補した際、覚々斎好みの枡床の席を写したともいわれ水屋もこの時に造られた。席名由来の枡床は北側に位置し畳半畳大の地板を畳高で入れた、いわゆる踏込床である。床間と並ぶ貴人口は鴨居高1288㎜と低く、その先は深い軒が付く土間となる。
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通常非公開|特別公開あり
01015
1941.05.08(昭和16.05.08)
大徳寺 玉林院・蓑庵|さあん
鴻池宗貞(了瑛)/如心斎
寛保2年|1742年
京都市北区紫野大徳寺町74
草庵式|三畳中板入|蓑庵は南明庵廊下をはさみ西側にあり西側のにじり口より入る。席は三畳、客座と手前座の間には炉縁幅と同寸の松板の地板を配し出炉の形式に切ってある。亭主は西向き点前する蓑庵は茶席にて先祖を礼拝する目的で考えられた茶室であろう。
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通常非公開|特別公開あり
01015
1941.05.08(昭和16.05.08)
大徳寺 玉林院・霞床席|かすみどこのせき
鴻池宗貞(了瑛)/如心斎
寛保2年|1742年
京都市北区紫野大徳寺町74
書院式|四畳半|玉林院南明庵の東側に隣接する。幅1間の床間大平壁には横幅いっぱいの富士山の軸が掛り手前に約100㎜の隙間を空け、ほぼ中央の高さの違い棚を霞に見立てたことから席名になったようですが、この席は当初より床間に日本の象徴である富士山の絵を飾るために造られ、絵に合わせ違棚の高さ位置、大きさを決めたと想像してもよいだろう。
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通常非公開|特別公開あり
01016
1941.05.08(昭和16.05.08)
西翁院茶室・澱看席|よどみのせき
藤村庸軒
貞享3年|1685年頃
京都市左京区黒谷町
草庵式|三畳|刈込垣をめぐらせた内露地に面する席前は左端の躙口上部に一間幅の連子窓と、おおよそ一間四方の屋根がつく。客座と点前座の境には、高さがおおよそ1500㎜の壁に1200㎜高の花頭口をつくり太鼓襖が入る。点前座正面の風炉先窓は相模見窓といい、左手壁には下地窓の淀看の窓が入る。
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通常非公開|特別公開あり
01019
1941.05.08(昭和16.05.08)
有澤山荘・菅田庵|かんでんあん
松平不味
寛政4年|1792年頃
島根県松江市菅田町106番地
草庵式|一畳台目中板入|墨跡窓がつく欅の板床は洞床で床框には中板と同じ幅の袖壁が付き下り壁へとつながる。点前座には風炉先窓入り桐の一重棚が12㎜角の吊り木で吊られている。西側の茶道口は上部を袴腰の形で南側には直径約600㎜の下地窓の丸窓が入る。
kanden-an.jp
公開|定休日、臨時休業あり
01067
1944.09.05 昭和19.09.05
慈光院茶室・高林庵|こうりんあん
片桐石州
寛文4年|1664年
奈良県大和郡山市小泉町865番地
草庵式|二畳台目|茶の湯で人を招く場合に必要な場所を全て揃え、境内全体が一つの茶席として造られた慈光院の中に建つ書院の東北部に位置する。東の躙口は少々大きく角柱から小壁を付け上部には茶席幅一杯に連子窓が入る。ほぼ正面に櫟皮付の中柱を通して点前座の奥に四尺床が見え、さらに左手には引違いのふすまが入り二畳の次の間へと通じる。
kcn.ne.jp/~jikoin
公開|入室不可

※櫟:くぬぎ

01164
1952.03.29(昭和27.03.29)
角屋茶室・曲木亭|きょくぼくてい
伝 覚々斎
江戸時代前期|1688年頃
京都市下京区西新屋敷揚屋町32
庭園建築|板の間|茶室というより中国や東アジアの庭園に建つ六角形や八角形などの「亭」あるいは欧州「ガゼボ(gazebo)」の趣がある高床式の建物。六角形の1/4を切り取った平面形にて北が短辺、南が長辺にて臥龍松に向く東北が斜で開放しており前には櫛形の縁台がつく。柱や梁には随所に自然の曲木が使われ亭名の由来となる。
sumiyaho.sakura.ne.jp
原則非公開
01164
1952.03.29(昭和27.03.29)
角屋茶室・清隠|せいいん/清隠斎|せいいんさい
安富常通(清隠斎)
天明年間|1781〜1789年移築
京都市下京区西新屋敷揚屋町32
草庵式|二畳台目三角向板入|一畳台目席ではあるが揚屋に建つ茶室らしく、なんとも艷やかで遊び心豊かな茶席と感じる平面構成である。三角の向板や両脇に小壁が付く三尺幅の洞床、台目大の水屋と、それを矩形に囲む縁の巧みな構成であろう。特徴的な三角向板は藪内家「雲脚席」でも使われている。
sumiyaho.sakura.ne.jp
原則非公開
01913
1937.07.29(昭和12.07.29)
仁和寺・遼廓亭|りょうかくてい
尾形光琳
延宝年中(1673〜1681)
京都府京都市右京区御室大内33
草庵式|二畳半台目|尾形光琳好みのこの建物は門前竪町の何似(かじ)宅より天保年間に現在地へ移築したと伝わる。外観は四方正面といわれるほど端正な建物であり遼廓亭は、この中の一室で平面構成は「如庵」の写しと思われるが有楽窓は連子窓、茶道口は花頭口の形式、床柱は香節の面付丸太、床框は木地の面取りを用いるなど細部には異なった表情を見せている。
ninnaji.jp
通常非公開|特別公開あり(要予約:往復はがき)
01913
1937.07.29(昭和12.07.29)
仁和寺・飛濤亭|ひとうてい
光格天皇
寛政年中(1789〜1801)
京都府京都市右京区御室大内33
草庵式|四畳半|宸殿北庭の築山にあり池泉の辺りに建つ入母屋造、茅葺屋根の茶室。傍らに今は無き老木が池面にまで枝が伸び小波が枝先で飛び散るがごとき様子に因む。南西角矩曲に高さ四尺八寸の引違い障子が入り南側が貴人口、北側の床間は踏込板敷の洞床で、その間には丸窓の下地窓が付く。
ninnaji.jp
通常非公開|特別公開あり(要予約:往復はがき)
01999
1976.05.20(昭和51.05.20)
表千家祖堂|おもてせんけ そどう
啐啄斎/吸江斎再興
寛政元年|1789年/天明8年|1788以降再興
京都市上京区小川通寺之内上る本法寺前町597番地
草庵式|四畳半/一畳台目|天明8年、3万7千軒焼失した京都史上最大の火事とされる天明の大火後に吸江斎が再興したと伝わる。祖堂には四畳半大の席「点雪堂」には脇床間が付く4尺四方の上段の間の正面に直径約1mの丸窓を空け利休像を安置している。廊下を挟み一畳台目向板向切の反古張の席、水屋さらに清めの場と思われる沐浴場と三畳間からなる。
omotesenke.com
原則非公開
02000
1976.05.20(昭和51.05.20)
裏千家住宅|うらせんけじゅうたく
千宗旦 千仙叟
天保10年|1839年頃、寒雲亭/天明8年|1788年
京都市上京区小川通寺之内上る本法寺前町613番地
数寄屋造りで大規模な茶匠の住宅。利休像を安置する利休堂、最も重要な茶室である四畳半の又隠と一畳台目向板付の今日庵をはじめとして十二畳の抛筌斎や八畳の咄々斎、一辺一尺八寸の炉が切られた大炉の間、今日庵に続く寒雲亭や溜精軒他、多くの茶室と玄関、台所などから構成される。
omotesenke.com
原則非公開
02001
1976.05.20(昭和51.05.20)
薮内家・燕庵|えんあん/えんなん
古田織部
天保2年|1831年頃
京都市下京区西洞院通正面下る鍛冶屋町430番地
草庵式|三畳台目茶室(相伴席付)|藪内家を象徴する茶室燕庵は初代藪内剣仲好みの席と伝わる。東側床間左手に給仕口がある一畳相伴席は貴人を招いた時、襖を外し相伴席の畳をとって円座を敷き敷居内側を上段、相伴席を下段に見立て使うことや茶道口の方立に用いた竹、点前座中柱の皮付赤松、色紙窓など独特の創意工夫が詰まる茶席。
yabunouchi-ennan.or.jp
原則非公開|特別見学会あり
02495
2006.12.19(平成18.12.19)
野村碧雲荘|のむらへきうんそう
藪内透月斎/北村捨次郎
昭和2年|1927年
京都市左京区南禅寺下河原町37番2、同南禅寺福地町57番
野村碧雲荘は池を囲み借景をいかした庭と高度な数寄屋技法を用いた近代和風住宅。巨木の床柱が印象的な八畳書院式の花泛亭。織部の又好みの意にて燕庵を更に得庵翁の好みに作った三畳台目、台目下座床がつく又織庵。利休好み二畳中板の席で台目床畳床侘草庵を強調した南光庵。林泉には深三畳台目で三角向板入りの舟茶室で藪内家の雲脚席と同じ構えの蘆葉。羅月と名付け月見台としても使われる羅月などが建つ。
hekiunsou.jp
原則非公開|見学会開催あり
02556
2010.06.29(平成22.06.29
清流亭 主屋|せいりゅうてい しゅおく
大工|北村捨次郎/上阪浅次郎
大正2年|1913年
京都府京都市左京区南禅寺下河原町43番5
京数寄屋建築の工匠が技を凝らした大正初期の建築。主屋には、表千家伝来の残月亭に習った間取りに、より書院的な格調を高めた意匠・手法が特徴の残月の間をはじめ、七畳の間、塗壁丸窓の丸炉の間、深三畳台目の白鷲などが設けられている。春には糸桜が美しい邸内には、その他にも寄付や、土間の中央に白川石を組み夏には氷柱を置き、春冬は炭火を盛る四尺角の大きな炉をしつらえた水石居が独立して建つ。
daimatsu-kyoto.co.jp/seiryutei
非公開
02557
2010.06.29(平成22.06.29)
杉本家住宅|すぎもとけじゅうたく
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明治3年|1870年
京都府京都市下京区綾小路通新町西入矢田町116番
杉本家は四条烏丸の南西に所在する。綾小路通に面して建つ主屋は元治元年(1864)の大火後に再建され、主屋は表側の店舗部と裏手の居室部を玄関で結ぶ、いわゆる表屋造の形式になる。棟札により明治三年の上棟と判り、菱屋利三郎と近江屋五良右衛門が棟梁を務めた。以前は門口から中庭を抜け、玄関より仏間手前の僧侶が寛いだ長三畳の控えの間を昭和11年、庭方向へ三尺分広げ応接を兼ねた茶室へと改修された。茶室は四畳半で以前の壁位置に落掛が入り壁寄りに壁厚が薄い曲面の小壁を垂り吊床の構えとして脇には広く窓を開ける。
所有者;公益財団法人奈良屋記念杉本家保存会
sugimotoke.or.jp
一般公開|公開日はサイトにて要確認
02559
2010.06.29(平成22.06.29)
琴ノ浦温山荘茶室・鏡花庵|きょうかあん
木津宗泉指導
大正9年|1920年
和歌山県海南市船尾字矢ノ島370番地1
世界有数のベルトメーカーとなった新田帯革製造所(現 ニッタ株式会社)の創業者、新田長次郎の別荘に建つ茶室。茅葺屋根に四方庇を付けた素朴な外観にて、9畳の広間周りに畳縁を設け左に一間床、右に書院、炉は四畳半切、障子の腰板には合板が用いられ、壁にはモルタルが塗られる。木津宗泉は新しいものでも有益なものは積極的に取り入れ、新田の会社が開発した日本最初の合板やモルタルを使用した。特に合板は自身の工場で開発製造した無垢の板を革の膠で貼り合わせた非常に高級な素材であった。
onzanso.or.jp
利用可/見学不可
02574
2011.06.20(平成23.06.20)
旧三井家下鴨別邸・茶室|ちゃしつ
 ー
大正|1912年〜1926年
京都府京都市左京区下鴨宮河町58番2
下鴨別邸は「主屋」「玄関棟」「茶室」の3棟からなり大正14年(1925)に竣工。茶室は祈祷札に「慶応四年」の銘があることから以前より建っていたと推測される。南庭に面して四畳半茶室と三畳次の間が並ぶ。四畳半は南向きに席と同じ幅の踏込床がつく簡素な造りであるが三畳次の間には北面に三尺幅の床に梅鉢形に抜かれた三尺幅の日の出棚、南面には六尺幅で高さが八寸程の地袋上におおよそ四尺の大丸窓がある。四畳半踏込床北側には北面に躙口を開き、大節の床板、皮付きアカマツの床柱が立つ一畳台目の席が並び西側に一畳水屋を配する。
mitsuipr.com/sights/historic-places/10/
管理:京都市|公開/利用可
京都観光協会http:|ja.kyoto.travel/tourism/article/mitsuike
02585
2012.07.09(平成24.07.09)
清風荘茶室・保眞斎/閑睡軒|ほしんさい/かんすいけん
閑睡軒:八木甚兵衛(ニ代)
保眞斎:江戸後期|1780〜1850年頃/閑睡軒:大正3年|1914年
京都市左京区田中関田町2-1
清風荘の起源は享保17(1732)年頃、徳大寺家の別邸として建築され、その後住友家が所有し八木甚兵衛(二代)設計にて大正元年主屋が完成後、西園寺家が使用。大正三年までに付属の建物が整う。南側に位置する茶室・保眞斎と供待ち席・閑睡軒は安政元年|1854年に建築※され明治45年、主屋の南から西方向へ曳屋される。保真斎は四畳半、床間右に脇床があり三角形の棚板が右端より伸び壁に消えていく、正面には付書院が付く。
kyoto-u.ac.jp/ja/social/hc-day/2023/18-d
所有:国立大学法人京都大学
※参照:J-STAGE[七代目小川治兵衛による清風荘庭園の作庭過程と空間的特色]杉田そらん他
2665
2017.07.31(平成29.07.31)
聴竹居(旧藤井厚二自邸)・茶室|ちゃしつ
藤井厚二
昭和6年|1931年
京都府乙訓郡大山崎町大字大山崎小字谷田77番
自他ともに認める「茶室建築の革命」を実現した茶室は製図板上で緻密にデザインされた茶室だ。傾斜地に建つ小庵は土台を傾斜に沿って伏せてあり、人工物の建築であるにも関わらず、まるで地面より湧き出たようだ。一畳台目中板入りの茶室には大きめのガラス戸と障子を組み合わせた躙口、点前座には中柱が立ち窓台付き風呂先窓には引違い障子が入る。六畳大の閑室には一間半の地袋と右手に約四尺の棚下には半間の引込竪組子障子の地窓が入る。二間幅の竹の落し掛けと天井の意匠にて壁面全体が床間となる。寄付きともなる板敷の部屋は関室、茶室共に2枚の引込み襖で仕切られ、2室あるいは3室を一席としても使用したのだろうか。机前の角には市松模様の4つの小窓に、それぞれ引込み障子が入る。
chochikukyo.com
所有:株式会社竹中工務店
見学可(開催日はサイトにて公開)
2676
2017.11.28(平成29.11.28)
松殿山荘|しょうでんさんそう
高谷恒太郎
大正8年~昭和3年|1919年〜1928年
京都府宇治市木幡南山18番地
山荘流、流祖高谷宗範が大正7年より茶道の起源である広間の茶、書院式茶道の振興と,茶室の近代化と改良を目指し十有余年をかけ自らが設計。当地は平安時代末期関白であった藤原基房、別名松殿基房の別荘地であったと伝わる。敷地の中央に建つ本館の周囲には大小の茶室群などを配置し庭園は茶席に合わせ、それぞれに主景、借景となるように工夫している。茶室は東向き十畳次の間八畳を持つ中書院、別名瑞凰軒、十八畳立礼席の眺望閣、三畳台目の貴人躙口を備えた不忘庵を始めとして17席。
shoudensansou.jp
所有:公益財団法人松殿山荘茶道会
一般公開(10名以上にて事前申込み必要)|特別公開期間あり
2776
2024.08.15(令和6.08.15)
對龍山荘|たいりゅうさんそう
伊集院兼常・島田藤吉
明治29年|1896・明治38年|1905年頃増改築
京都市左京区南禅寺福地町22番地1
南禅寺門前一角の広大な敷地に茶人で建築と作庭に優れた技術者伊集院兼常の別荘であった。既存の聚遠亭と茶室に、東京の大工棟梁島田藤吉が對龍台と居間棟などを増築・改修して、明治35年(1902)に竣工した。右手に居室、左に対龍台と名付けられた書院、中央奥に庭に突出するようにして茶室郡という構成である。庭園に面した茶室群は八畳代目の聚遠亭より北方向に三畳の次の間が付く四畳半の席、四畳の水屋、四畳向板道安囲の席と変化に富んだ構成である。
tairyu-sanso.jp
所有者:株式会社ニトリホールディングス
公開(休館日あり)

※)文化庁:文化財データベースより抜粋・引用