都道府県の茶室

国宝・重要文化財茶室 所在都道府県一覧

北海道

00962
1936.09.18(昭和11.09.18)
中島公園・八窓庵|はっそうあん (旧舎那院忘筌)
小堀遠州
寛永年中|1624〜1644年?
北海道札幌市中央区南一一条西四丁目中島公園内
草庵式|二畳台目|小堀家の菩提所、孤篷庵に創建された後4回も移築され現在にいたり保存されてきた貴重な名席である。窓は躙口上に2箇所、床前の側壁に2箇所、点前座の風炉先窓・色紙窓の2箇所、掛込天井には突上窓が付き8箇所の窓がある。躙口両側に袖壁を設け出庇が付く。
city.sapporo.jp/ncms/shimin/bunkazai/bunkazai/syousai/06k_hassoan
休館日:冬季間(11月上旬~4月下旬)

秋田県

02231
1990.03.19(平成2.03.19)
天徳寺|てんとくじ・書院|しょいん
 ー
文化3年|1806年
秋田県秋田市泉三嶽根
※)天徳寺は、秋田藩主佐竹氏の菩提寺で、曹洞宗に属し、常陸佐竹氏の秋田転封にともなって、この地に移転した。境内には本堂、書院、山門、総門などがあって往時の伽藍の姿をよくとどめている。本堂は規模が大きな茅葺の堂である。間取りは八室構成で、その前面に土間を配し、曹洞宗本堂の特徴をもっている。書院は上段の間や茶室などを備え、藩主墓参のさいには休息所となった。総門、山門は蟇股、木鼻など細部に常陸地方の中世社寺建築の特徴が受け継がれている。
facebook.com/tentokuzi/?ref=page_internal
公開|詳細は要確認

群馬県

2678
2018.08.17(平成30.08.17)
臨江閣茶室・畔堂|こうどう(平成20年命名)
今井源兵衛
明治17年|1884年
群馬県前橋市大手町三丁目1番2
群馬県の迎賓館として明治17年に建築された臨江閣本館と同年に併設された茶室。四畳半と八畳の二席、水屋、腰掛待合、露地を備える。四畳半の席は本勝手に幅四尺の踏込下座床で角柱を隠した室床、脇に火灯口が備わる。八畳広間には腰掛待合との壁面に印象的で大きな火灯窓が空けられている。特にこの茶室は県令(県知事)楫取素彦を代表に県職員の有志による募金で建てられた。建築年の明治17年は楫取素彦が元老院議官となり、この地を去る年であり置土産として群馬の地に茶道が隆盛することを願う気持ちを形として残したとされる。
rinkokaku.maebashi-park.com
所有:前橋市
見学可(休館日あり|施設利用可(事前審査あり)

埼玉県

2679
2018.08.17(平成30.08.17)
旧遠山家住宅・茶室|ちゃしつ
今井源兵衛
昭和12年|1937年
埼玉県比企郡川島町大字白井沼字烏足675番地1
※旧遠山家住宅は,埼玉県中部の田園地帯に所在する。日興証券創立者の遠山元一が郷里に建てた邸宅で,昭和11年までに住居部分が竣工し,その後,茶室などが整備された。
e-kinenkan.com/
所有:公益財団法人遠山記念館
見学可(休館日:要サイト確認)

千葉県

02484
2006.07.05(平成18.07.05)
旧堀田家住宅・書斎棟|しょさいとう
久田宗参
明治23年|1890年
千葉県佐倉市鏑木町字諏訪尾余274番地
※旧堀田家住宅は最後の佐倉藩主である堀田正倫が建て明治23年にほぼ完成したとされる。書斎棟には茶室を備え内外とも瀟洒な数寄屋風意匠になっている。庭園や眺望に対応した多彩な接客空間を異なる意匠で纏め上げ完成度の高い上質なつくりは近世以来の伝統技法をよく継承した大規模和風住宅である。
city.sakura.lg.jp/soshiki/bunkaka/bunkazai/sisetsu/hotta/4595.html
所有者:佐倉市
見学可(一部非公開)|休館日あり

東京都

02455
2004.12.10(平成16.12.10)
旧朝倉家住宅|あさくらけじゅうたく
大工棟梁:秋元政太郎
大正8年|1919年
東京都渋谷区猿楽町29番地
旧朝倉家住宅は、東京都渋谷区猿楽町に所在し目黒川渓谷に向かって落ち込む急勾配の南西斜面の一画を占める。東京中心部に残る大正期の和風住宅は接客のための御殿、内向きの座敷、茶室など、機能に応じ異なる意匠でまとめた良質の建物と庭園が良好に保存されている。四畳半の茶室は中央に半畳大囲炉裏を切り、エッジの効いたシャープな印象をもたらし、ほぼ正方形にくり抜かれた大きな窓には壁内に引き分けの障子が入り、開放時には庭園の景色が茶室の土壁と対比し美しい景色を生み出す。隣室の深四畳の小間には外壁側に大きく円窓と細かな縦格子の障子が美しい。
city.shibuya.tokyo.jp/shisetsu/bunka-shisetsu/asakura/asakura_00004.html
所有者:国(文部科学省)|管理:渋谷区
見学可(一部非公開)|休館日あり
02595
2013.08.07(平成25.08.07)
旧前田家本邸・茶室|ちゃしつ
設計:木村清兵衛
昭和5年|1930年
東京都目黒区駒場四丁目861番
この茶室は客人に日本の文化を楽しんでもらうため計画されたと推測する。又隠の写しとされるが、床間右壁の下地窓入り片引障子の位置に手前柱から30cm程の小壁を付け床からの引違障子、点前座の道古口には片引障子が入る。躙口は又隠が南向きに対し、この席は西向きとなるが、これは客人に茶室からも庭園を楽しんでもらうための配置計画であろう。また点前座横の障子に映る影は茶室に入る間合いを知らせる演出ではないだろうか、だとすれば少々細長い水屋からの動線も理解できる。
city.meguro.tokyo.jp/douro/shigoto/kouen/komaba.html
所有:国・東京都・目黒区|管理:目黒区
利用可
2626
2015.07.08(平成27.07.08)
旧朝香宮邸茶室・光華|こうか
中川砂村
昭和11年|1936年
東京都港区白金台五丁目26番
「茶時」の席、社交を目的として計画された茶室?フランスで2年間ほど暮らした朝香宮允子妃も貴婦人がおしゃべりを楽しんだサロン・ド・テにて時を過ごし,妃はこの空間を日本で実現したのであろう。席は小間・広間・立礼の三席、特に小間は、四畳半上台目切本勝手、点前座の風呂先には中柱が立ち高さ240㎜ほどの腰板が入り、その先にも畳が敷かれ亭主と正客が向き合い、おしゃべりできる造りとなっている。九畳の広間では大人数で茶を通し会話が弾み、土間の立礼席では主に洋装にて時を過ごそうとしたのではないだろうか。
teien-art-museum.ne.jp/garden/
所有:東京都
一部見学可|広間:茶会開催期間あり

神奈川県

00890
1931.12.14(昭和6.12.14)
三渓園・春草廬|しゅんそうろう
織田有楽
江戸前期|1615-1660
神奈川県横浜市中区本牧三之谷58番1号
草案式|三畳台目|かつて伏見城内殿館・月華殿に付属した数寄屋で大正11年京都から現在地に移築。戦時中には一時解体され戦後、現在地に再築された。席には連子窓と下地窓が9箇所あり別名「九窓亭」とも呼ばれた。
sankeien.or.jp/learn/facilities/shunsouro
通常内部非公開|有料貸出可能
01582
1964.05.26(昭和39.05.26)
旧一条恵観山荘・御茶屋|おちゃや
一条恵観
正保年中頃|1645〜1648年頃
神奈川県 鎌倉市浄明寺5-1-10
草庵(数寄式)|深四畳・三畳・四畳半|慶安5年(1652)一条昭良(後に出家し恵観)自身が設計し京都西賀茂に創建した茶室と伝わり昭和34年(1652)現在地へ移築。南北の梁間3間半、桁行6間半の建物で内部は随所に数寄心を凝らした風雅な貴族好みの茶室。建物中央の北から主室の「鎖の間」・六畳・「宗和棚の間」・三畳・「止観の間」と並ぶ。
ekan-sanso.jp
通常非公開|基本予約見学

石川県

00990
1938.07.04(昭和13.07.04)
成巽閣・清香軒|せいこうけん
前田斉泰
文久3年|1863年
石川県金沢市兼六町1番2号
草庵式|三畳台目|成巽閣創建時より建物に組み込まれていた、この茶室の引違い戸の貴人口と躙口は直角に位置し、深さ約1800㎜の土間庇付きで「飛鶴庭」の遣水が取り込まれた内露地に面する。床間は原叟床(げんそうどこ)といわれる踏込床で地板には樟杢(くすのきもく)の1枚板が使われ四方竹の床柱は床脇の炉より、おおよそ270㎜地板内に立つ。
manshuinmonzeki.jp
通常非公開|特別公開期間あり

岐阜県

2682
2018.08.17(平成30.08.17)
旧川上家別邸・茶室|ちゃしつ
 ー
明治17年|1884年
岐阜県各務原市鵜沼宝積寺町三丁目82番地
旧川上家別邸(現:萬松園)は,女優として活躍した川上貞奴の別邸として昭和8年に建築された。敷地は国の天然記念物「名勝木曽川」の区域内にあり木曽川の雄大な景勝を望む1000坪の敷地に、建坪150坪、26室(玄関、広間棟・仏間・客間棟・浴室棟・茶室・田舎家棟・台所・女中部屋棟)を雁行型に配置している。庭園内には外壁側に張出した室床(ほら床)が個性的な茶室を配する。
sakura-hills.jp/history/
管理:萬松園
見学可(事前申込)日程はサイトにて要確認

愛知県

02598
2013.08.07(平成25.08.07)
旧鈴木家住宅|すずきけじゅうたく
 ー
安永5年|1776
愛知県豊田市足助町本町20番、21番、山王6番、7番、8番
鈴木家は、近世は紙問屋、近代は土地経営などで財をなした。主屋は足助の安永の大火後、安永5年(1776)の建設で明治時代までに現在の建物が整備された。旧鈴木家住宅は、足助において最大級の敷地をもち、主屋は地区内で最古の遺構である。近世から近代にかけての建物が良好に残り、足助の大規模商家の発展過程を示す建築である。
city.toyota.aichi.jp/shisetsu/bunka/bunkasonohoka/1055582/index.html
所有: ー
利用可|休館日あり:詳細は公式サイトにて
2742
2022.09.20(令和4.09.20)
小栗家住宅・書院及び茶室|しょいんおよびちゃしつ
 ー
明治前期|1868年〜1872年頃
愛知県半田市中村町1丁目18番地
※)半田市の中心部に位置する。近世から醸造業・肥料商で財を成した小栗三郎兵衛家が、幕末から明治にかけて整備した屋敷群。とくに隆盛を誇った明治前期に建てられた主屋は大規模で、豪壮かつ繊細な仕上げが為された梁組を持つ土間は見応えがある。また、主屋や隠宅の座敷や茶室は、数寄屋風意匠と、煎茶文化の影響とみられる中国風意匠を巧みに取り入れ、意匠的に優れている。広大な敷地には多数の付属建物が残り、 いずれも質が高い。半田の繁栄を物語る近代和風の豪邸として評価される。
ogurike.com
所有:個人住宅
通常非公開(個人住宅)

三重県

02418
2002.12.26(平成14.12.26)
諸戸家住宅・伴松軒|ばんしょうけん
松尾宗五?
明治20年頃|1887年頃
三重県桑名市太一丸18番地
※)諸戸家住宅は,米の売買,土地経営などで財をなした初代諸戸清六が居宅兼事務所として建設したものである。池の東には大きな藤棚を伴う藤茶屋、西には推敲亭(すいこうてい)(昭和30年に県指定有形文化財)六畳の中に洞床を取り、床の前に長板があって広々とした茶室で主屋に付属する伴松軒(ばんしょうけん)といった茶室が配され、開放的な茶会庭園としての趣をもっている。
moroto.jp/index.html
所有者:公益財団法人諸戸財団
公開|期間限定(詳細は公式サイトにて)
2648
2016.07.25(平成28.07.25)
旧長谷川家住宅|はせがわけじゅうたく・離れ|はなれ
 ー
明治28年|1895年(主屋;江戸中期|1883-1897)
三重県松阪市魚町1653番地
高度な染織技術を古来より継承した松阪市の紺屋は松阪縞の木綿製品を江戸大伝馬町に大店を構え財をなした。長谷川家も木綿問屋を営んだ松坂を代表する豪商で江戸中期に建築された主屋を中心に敷地を広げ、増築・新築を繰り返しながら大きな屋敷となる。主人は、紀州藩役所の仕事をしながら、余暇には茶道や和歌・俳句などの文芸活動を嗜み、茶道の千宗室とも親交があったとされます。四畳半の茶室は主に来客用と思われ、日本庭園に面して建ち離れの座敷と渡り廊下でつながる。
matsusaka-rekibun.com
所有:松阪市
見学可|休館日(サイトにて公開)

滋賀県

02312
1994.12.27(平成6.12.27)
蘆花浅水荘|ろかせんすいそう
設計・山元春挙|大工・橋本嘉三郎
大正3年|1914年〜大正10年|1921
滋賀県大津市中庄一丁目
蘆花浅水荘は日本画家の大家、山元春挙の別荘で琵琶湖の西岸に位置し元は庭続きに琵琶湖が広がる敷地に山元春挙、自らが設計監修を行い京都の大工橋本嘉三郎と共に建てた。敷地西側に建つ本屋の東面北寄りに突出する茶席竹之間は床柱、落掛、大丸窓にはすすきを表現する竹を嵌め込むなど随所に竹が使用される。離れ東北隅には引分襖の松の唐紙に高さが異なる千鳥の引手が入る茶席「莎香亭」が接続し、その西に小間の書斎「無尽蔵」と茶席「残月の間」が付属する。敷地東側は築山と流水を伴う庭園で持仏堂のほか茶室、四阿(あずまや)など、大正を代表する芸術家が手掛けた洒落、遊び心豊かな数寄屋が建つ。
rokasensuiso.wixsite.com/page
所有者:記恩寺
見学可|要予約(3日前)
2751
2022.12.12(令和4.12.12)
外村家住宅|とのむらけじゅうたく・新座敷|しんざしき
 ー
昭和9年|1944年(主屋:明治前期)
滋賀県東近江市五個荘金堂町521番地
※)外村家住宅は、いわゆる湖東と呼ばれる近江商人の発祥地。主屋は明治前期の建築で茶室がある新座敷は昭和9年の建築で、京都の三上吉兵衛の手になる続き間座敷と茶室からなり、良材を使用した上質な接客空間を持つ。
 ー
所有者:外市株式会社
見学可(休館日あり

大阪府

00819
1926.04.19(大正15.04.19)
水無瀬神宮茶室・燈心席/燈心亭|とうしんせき/とうしんてい
後水尾天皇
延宝8年|1680年以前
大阪府三島郡島本町広瀬3丁目
草庵に書院風を加える|三畳台目|御所から移築したと伝わる同茶室の天井は、格天井に萩、山吹、木賊(とくさ)、芦、太蘭(いぐさ)、苧穀(おがら)、寒竹など灯芯に使われる七種の草木を用いていることからの名称。昭和初期以前は「七草の席」とよばれた。正面の床間と床脇棚が並び、右手前直角に設けた給仕口上部には印象的な曲木が入る。
minasejingu.jp
要予約 ※詳細は水無瀬神宮まで
02550
2009.12.08(平成21.12.08)
旧西尾家住宅|にしおけじゅうたく
離れ:武田五一
明治26年|1893年・大正15年|1926年
大阪府吹田市内本町二丁目15番11号
西尾家は近世末には仙洞御料の庄屋を務め、明治になると地主また山林業を営む資産家。明治28年上棟の主屋には床・棚を備えた味々庵と称する茶室、店の間の北に張出す三畳の茶室。積翠庵は明治26年の建築で薮内家茶室の二席があり西に燕庵写しの三畳台目茶室、東に雲脚写しの二畳台目茶室を配し、それぞれ北側に水屋を設ける。離れは建築家武田五一の設計、大正15年(1926)年の上棟の西棟玄関東には床・棚を構え棹縁天井の四畳半茶室など伝統と茶の湯の精神を感じさせる屋敷です。
city.suita.osaka.jp/kyunishioke/index.html
所有者|吹田市
観覧可|事前予約制(サイトにて要確認)

兵庫県

02575
2011.06.20(平成23.06.20)
旧村山家住宅・茶室棟|ちゃしつとう
玄庵:薮内節庵指導
明治44年|1911年
兵庫県神戸市東灘区御影郡家二丁目12番1号
旧村山家住宅は、朝日新聞社を創業した村山龍平の自邸。氏は大阪の財界人達との交遊を通じて次第に茶の湯の世界を楽しむようになり、藪内流の薮内節庵に就いて茶を修めた。茶室棟の入母屋造り茅葺屋根のほぼ中央が大きく矩形にくり抜かれる。茶室は薮内節庵の指導を受け明治44年に造営した三畳台目、藪内流家元の茶室「燕庵」の忠実な写しの「玄庵」と大正 7 年ごろの建築と推定される 四畳半の茶室「香雪」の2席。
kosetsu-museum.or.jp
令和6年〜令和10年補修工事中

奈良県

00944
1935.05.13(昭和10.05.13)
※當麻寺|中之坊書院・丸窓席|まるまどせき
片桐石州?
慶安年中|1648〜1651年
奈良県葛城市當麻1263
草庵式|四畳半|後西院陛下をお迎えするために造られた茶室。南側左端に片開きの躙口があり内部に片引の障子が入る。正面左には長辺で七寸ほどの三角板を用いた蹴込床に竹の床柱と落掛が入る。その右側に直径1.6mの大円窓を設け裏側に引違障子が入り隣室(侍者の間)へと繋がる。
taimadera.org
丸窓席は通常非公開・特別公開あり
※文化財データベースでは「中之坊書院」で登録
01067
1944.09.05 昭和19.09.05
慈光院茶室・閑茶室|かんちゃしつ
片桐石州|千道安
寛文4年|1664年
奈良県大和郡山市小泉町865番地
草庵式|三畳向板入|高林庵茶道口より西方向、北に面する板縁の先に大きな下地窓の丸窓が見える。脇には引違いの障子が入る。この大丸窓は閑茶室の風炉先窓で引違い障子は当席の貴人口となる。三畳大の席に向板が入り点前畳は台目畳より大きく逆勝手向切の風炉が入る。貴人口正面には塗り回し壁の踏込床がつく。
kcn.ne.jp/~jikoin
公開|入室不可

和歌山県

02613
2014.09.18(平成26.09.18)
濱口家住宅|はまぐちけじゅうたく
 ー
文化11年|1814年
和歌山県有田郡広川町大字広字南市場1292番
※)濱口家住宅は、江戸で醤油問屋を営んだ豪商の本宅で、広大な屋敷地に主屋や御風楼など多数の建造物が保持されている。このうち御風楼は、明治末期の経済人の趣味を反映した大規模で上質な近代和風建築であり、平面構成、内部意匠、細部造作とも独創性に富み質が高い。また、近世に遡る主屋や本座敷のほか、御風楼や土蔵群などが建築され明治以降に拡張された屋敷構えは、地域を代表する商家の近世から近代に至る発展過程を示すものとして価値が高く、土地と併せて保存を図る。
tohin-shokurin.com/news
所有者:一般財団法人東濱口家住宅保護財団、広川町
通常非公開|公開期間あり(はがきによる事前申込)

鳥取県

01925
1974.02.05(昭和49.02.05)
門脇家住宅|かどわきけじゅうたく
 ー
明和6年|1769年
鳥取県西伯郡大山町所子360番地
草庵式|三畳|門脇家は大山の西北山麓にあり、江戸時代には大庄屋を勤めた。茶室は主屋から東へ突出し、躙口は隅柱から小壁を付けあけられるが、上部の連子窓は一間の客座の柱間一杯にあき、躙口正面にも明かり障子2枚建てにし開放的な構成である。左手には9cmほどの小壁をつけ相手柱が立ち半間の床には隅丸の墨跡窓が付き塗回しの室床に赤松皮付の床柱に杉丸太の床框が入る。床に対面する点前座は丸畳を敷き込み、湾曲した赤松皮付きの中柱は無目と重なり小壁と下り壁とが一体となる。炉は上げ台目に切りにて風炉先窓があく。
鳥取大山観光ガイド|tourismdaisen.com/spot/1-copy
通常非公開|特別公開あり
02551
2009.12.08(平成21.12.08)
石谷家住宅|いしたにけじゅうた
田中力蔵
昭和3年|1928年(大正8年〜昭和4年)
鳥取県八頭郡智頭町大字智頭396番地
石谷家は智頭宿のほぼ中央に所在し「塩屋」と号する商家で地主経営も行っていたが明治以降林業経営を拡大した。住宅は大正8年から昭和4年にかけて既存建物の一部を再利用しながら屋敷全体の造営が行われた。茶室は座敷棟に一席と古座敷の東には二畳の水屋に並び四畳半本勝手に四尺幅の上座床には墨跡窓があり、風炉先窓が付く茶室が池に張出して接続する。天井は杉のへぎ板の網代組み天井棹には煤竹を選び、また壁の腰板には防腐効果が高いとされる舟板を使用するなど使用素材も厳選された痕跡が多くうかがえる。
ifs.or.jp
所有者|智頭町、石谷樹人、石谷正樹
観覧可|休館日あり

島根県

01019
1941.05.08(昭和16.05.08)
有澤山荘・向月亭|こうげつてい
松平瓢庵(斉恒)
寛政4年|1792年頃
島根県松江市菅田町106番地
書院式|四畳半台目|菅田庵の西に接する三畳水屋の南に位置し、東南に折れ回る畳縁に囲まれ先には簀子縁さらに雲がたなびくように短冊形の延段※が印象的な砂利を敷き詰めた庭へと通じる。東には引違い、南には両開きの障子が入り山荘の中でも最も眺望が利く位置に建ち仲秋の月見に最適で亭の名もこれによるという、この席は月を楽しむ演出で満ちている。
kanden-an.jp
公開|定休日、臨時休業あり
01736
2009.12.08(平成21.12.08)
木幡家住宅・新座敷棟|こわたけ・しんざしきとう
 ー
明治5年|1872年
島根県松江市宍道町宍道1335番地
木幡家は,江戸時代には酒造業を営んでいた商家で,享保18年(1733)に建築された主屋、接客施設の座敷群、土蔵などの附属建物と一体となって屋敷構えを構成される。新座敷棟は、松江藩家老朝日家から建物の一部を移して再利用しつつ建築され入母屋造及び切妻造、桟瓦葺で、南西の居間を張出し、さらに二畳台目茶室と仏間を附属し棟梁は松江の渡部彦七、副棟梁を宍道の伊藤徳右衛門が務めたことが知られ明治五年に上棟した。
 ー
 ー
令和5年〜令和12年:大規模改修工事中|現場見学会開催

岡山県

02450
2004.07.06(平成16.07.06)
旧大國家住宅|おおくにけじゅうたく
 ー
宝暦10年|1760年〜
岡山県和気郡和気町尺所38番地
※)旧大國家住宅は、中国地方東部を代表する大庄屋格の住居のひとつで、江戸後期から末期にかけての屋敷構成をよく保持する。主屋は宝暦10年(1760)に建てられ数度の増改築を経て江戸末期頃に現在の姿になったと考えられる。享和元年(1801)に完成した蔵座敷には床・棚を備えた北側の座敷を御成の間と称し、この南に茶室を配し、南側に座敷二室を配する。
和気町:town.wake.lg.jp
現所有者:和気町
通常非公開|年数回公開
02496
2006.12.19(平成18.12.19)
旧野﨑家住宅|のざきけじゅうたく
速水宗筧
天保4年頃|1832年頃〜
岡山県倉敷市児島味野一丁目11番19号
※諸戸家住宅は,米の売買,土地経営などで財をなした初代諸戸清六が居宅兼事務所として建設したものである。池の東には大きな藤棚を伴う藤茶屋、西には推敲亭(すいこうてい)野﨑家は大規模な塩田の開発、新田開発にて大地主となる。天保四年頃の建築と考えられる母屋には四畳半と四畳、嘉永五年(一八五二)建築の表書院には四畳半の茶室、また江戸末期建築と考えられる庭園内には三席の茶室がある。築山上の観曙亭は二畳台目、北側に水屋道庫がつき角切本勝手となっている。西に位置する容膝亭には又隠の写しとされる四畳半の席と、この丸炉の二畳中板席とがあって、侘の茶亭としての本分を示した席名である。更に北西にある臨池亭は三畳台目向切本勝手の席になり、その中の一畳が三角形にて円窓がつき桝床に大きめの躙口、火頭の茶道口と変化の多い侘席である。
nozakike.or.jp
所有者:公益財団法人竜王会館
公開|休館日等は要確認

広島県

02305
1953.11.14(昭和28.11.14)
浄土寺・露滴庵|ろてきあん
薮内紹智
慶長初年|1596年頃?
広島県尾道市東久保町
草庵式|三畳台目茶室(相伴席付)|浄土寺は尾道市に建ち草創は聖徳太子の開祖と伝えられ中国地方屈指の古刹に建つ露滴庵は安土桃山城より移築されたと伝わり燕庵形式として現存する最古の茶室。三畳台目出炉形式の席に相伴席が付き三角地板に花頭の給仕口が開く、先には廊下を挟み覚々斎好みともいわれる枡床の席が斜めに接する。
ermjp.com/j/temple
通常非公開|一般公開あり

山口県

02590
2012.12.28(平成24.12.28)
有近家住宅|ありちかけじゅうたく
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茶室:昭和8年|1933年
山口県山口市徳地八坂971番地、同972番地
※)宅地中央の主屋は街道沿いに建てたものを大正時代に曳屋して現在地に移したと伝わり、墨書などから明治25年の建築、大正13年の曳屋と考えられる。曳屋に際して玄関及び応接室、隠居屋、風呂場が増築されたほか、昭和8年に表座敷が増築された。表座敷は、次ノ間と客間の二室からなり、庭園に面した南面から東面にかけて畳縁をまわし、西北隅に茶室と便所を附属する。客間にトコとトコ脇、附書院を構えた本格的な座敷で、畳ドコとし、トコ脇に天袋と違棚を備える。蟻壁長押をまわして小壁や襖に金雲砂子蒔の壁紙を用い、また吹寄格天井に和風シャンデリアを吊るなど、良材をふんだんに用いた上質なつくりになる。
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香川県

02586
2012.07.09(平成24.07.09)
披雲閣(旧松平家高松別邸)|ひうんかく(きゅうまつだいらけたかまつべってい)
清水組(現清水建設株式会社)
大正6年|1917年
香川県高松市玉藻町2番1号
披雲閣は、高松城跡の三の丸に所在する旧高松城主の松平家の別邸である。大正6年に完成した本館は江戸時代の御殿を意識した伝統的な配置や意匠をもち、百四十二畳敷の「大書院」から複数の小座敷を配した「杉の間」まで、充実した接客空間を擁する。茶室は庭園を一望できる槇の間の西面に張り出した附属棟の2階に六畳の茶室を設ける。同階には便所も併設されており長時間に渡り庭園を見ながら茶も楽しむ、現代で言えばVIPルーム的な使われ方をしたのではないだろうか。
city.takamatsu.kagawa.jp/smph/kurashi/kosodate/bunka/bunkazai/shiteibunkazai/kenzo/hiunkaku.html
所有者:高松市
原則非公開|公開期間あり:利用可(有料)

愛媛県

02430
2003.05.30(平成15.05.30)
旧広瀬家住宅|ひろせけじゅうたく:新座敷|しんざしき
八木甚兵衛
明治22年|1889年
愛媛県新居浜市上原二丁目3904番2
※)旧広瀬家住宅は,住友家(本店)の初代総理人を務めた広瀬宰平の建設した住宅である。明治20年代に移築・新築併せて全体が整備された。主屋及び新座敷には巧緻な技巧による優れた意匠を備える他、眺望を意識した部屋を複数持つなど、住宅機能のみに留まらず迎賓館としての役割を兼ね備えた平面構成も特徴的であり価値が高い。明治22年建築、新座敷には15畳敷の新座敷の北側に10畳の次の間を配し、東南北の三方に縁を廻らす。北西には茶室を設け、南縁西端から廊下を介して湯殿を設ける。座敷、次の間とも棹縁天井とし、座敷には二畳敷の上段風の床と琵琶床を備え、内法長押を廻して欄間、釘隠等に意匠を凝らす。
city.niihama.lg.jp/soshiki/hirose
所有者:新居浜市
公開|休館日あり
2652
2016.07.25(平成28.07.25)
臥龍山荘・不老庵|ふろうあん
中野寅雄
明治34年|1901年
愛媛県大洲市大洲字勘兵衛屋敷411番地
客をもてなす展望喫茶室構えの茶席?不老庵は,肱川を見下ろす崖地に懸造※で張り出す数寄屋造。八畳の不老庵、三畳茶室と一畳水屋から成る。不老庵は崖側に二間幅の床間、三方は欄干付きの濡縁で囲まれ、それぞれに一間半の引違い障子と引込の雨戸が入る。席前に位置し客人の入席を知れる三畳茶室は半間脇床付き床間と相対し一間押入れが付き、直交して押入れ前の点前座と思われる短手両側に不老庵へと続く濡縁と水屋の出入り口があることから不老庵は客席で茶室三畳は厨房及び休憩室用だったのではないだろうか。席を囲む濡れ縁は客人が多い時にはサービス動線の役割も果たし、不老庵の質素な形式の床間には海外の希少な品々が人々の目を楽しませたに違いない。
garyusanso.jp
所有:大洲市
見学可

高知県

02518
2007.12.04(平成19.12.04)
竹村家住宅|たけむらけじゅうたく
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安永9年|1780年頃
高知県高岡郡佐川町甲字東町1301番地
※)竹村家は明和7年(1770)に「黒金屋」の屋号と酒造を許され、この頃から本格的に酒造業を始めた佐川屈指の商家であったことが知られる。屋敷地を街路沿いの東南角地に構え、南面する主屋は、安永9年(1780)頃建築の東側の店舗部と天保9年(1838)に改築されたとみられる西側の座敷部からなる。座敷部西棟は東側に南から、式台、玄関、廊下、茶室、西側に次の間、上の間を並べ次の間正面に板敷の外縁、上の間背面に畳敷の内縁を設ける。竹村家住宅は、幕府巡見使の宿所とされ、武家住宅に準ずる上質な座敷を備え土佐でしか見られない独特の建築様式も残される。
佐川くろがねの会:kochikankoguide.jp
所有者: ー
見学可|要予約(詳しくは「くろがねの会」まで)

熊本県

2772
2024.01.19(令和6.01.19)
吉田松花堂・茶室|ちゃしつ
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明治29年|1896年
熊本県熊本市中央区新町4丁目1番71
※吉田松花堂は医学を修めた初代吉田順碩が開発した「諸毒消丸」の製造・販売を家業とする商家で、熊本城下の市街地に大規模な敷地を占める。主屋は明治11年建築で、通りに面して鼠漆喰塗りの重厚な構えを見せ、造付けの薬棚や旧製薬場、イッカクの角を用いた違棚など家業にまつわる設えが独特で、中国風意匠の二階座敷、華やかな杉戸絵など意匠的にも優れている。賓客の宿泊施設にもなった端正な広間の十五畳、材の取り合わせが華やかな茶室などを含め、意匠の優れた近代和風建築群として価値が高い。
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吉田松花堂
薬屋店舗

大分県

02553
2009.12.08(平成21.12.08)
草野家住宅|くさのけじゅうたく・隠宅蔵|いんたくぐら
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江戸後期|1751-1829
大分県日田市豆田町127番地
※)主屋後方に位置する客間部、隠宅部などは幕末から明治・大正期にかけて増築されたもので、庭園とは一体となった明るく開放的な構成をもち、玄関部や店舗部とは対照的な造りとなっています。こうした開放的空間構成や、文人画の小襖、竹、唐木、奇木などの材種で華やかに整えられた室内意匠には当時日田で親しまれた煎茶席の建築的特徴が認められます。
kusanohonke.jp/aboutus
所有者:草野家
原則非公開|一般公開:年4回

※)文化庁:文化財データベースより抜粋・引用