重要文化財の茶室 2

重要文化財の茶室

明治期以降

指定番号
指定年月日
登録名|茶室名
好・作
年 代
所在地
特 徴
http:
備 考
01736
2009.12.08(平成21.12.08)
木幡家住宅・新座敷棟|こわたけ・しんざしきとう
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明治5年|1872年
島根県松江市宍道町宍道1335番地
木幡家は,江戸時代には酒造業を営んでいた商家で,享保18年(1733)に建築された主屋、接客施設の座敷群、土蔵などの附属建物と一体となって屋敷構えを構成される。新座敷棟は、松江藩家老朝日家から建物の一部を移して再利用しつつ建築され入母屋造及び切妻造、桟瓦葺で、南西の居間を張出し、さらに二畳台目茶室と仏間を附属し棟梁は松江の渡部彦七、副棟梁を宍道の伊藤徳右衛門が務めたことが知られ明治五年に上棟した。
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令和5年〜令和12年:大規模改修工事中|現場見学会開催
02312
1994.12.27(平成6.12.27)
蘆花浅水荘|ろかせんすいそう
設計・山元春挙|大工・橋本嘉三郎
大正3年|1914年〜大正10年|1921
滋賀県大津市中庄一丁目
蘆花浅水荘は日本画家の大家、山元春挙の別荘で琵琶湖の西岸に位置し元は庭続きに琵琶湖が広がる敷地に山元春挙、自らが設計監修を行い京都の大工橋本嘉三郎と共に建てた。敷地西側に建つ本屋の東面北寄りに突出する茶席竹之間は床柱、落掛、大丸窓にはすすきを表現する竹を嵌め込むなど随所に竹が使用される。離れ東北隅には引分襖の松の唐紙に高さが異なる千鳥の引手が入る茶席「莎香亭」が接続し、その西に小間の書斎「無尽蔵」と茶席「残月の間」が付属する。敷地東側は築山と流水を伴う庭園で持仏堂のほか茶室、四阿(あずまや)など、大正を代表する芸術家が手掛けた洒落、遊び心豊かな数寄屋が建つ。
rokasensuiso.wixsite.com/page
所有者:記恩寺
見学可|要予約(3日前)
02418
2002.12.26(平成14.12.26)
諸戸家住宅・伴松軒|ばんしょうけん
松尾宗五?
明治20年頃|1887年頃
三重県桑名市太一丸18番地
※)諸戸家住宅は,米の売買,土地経営などで財をなした初代諸戸清六が居宅兼事務所として建設したものである。池の東には大きな藤棚を伴う藤茶屋、西には推敲亭(すいこうてい)(昭和30年に県指定有形文化財)六畳の中に洞床を取り、床の前に長板があって広々とした茶室で主屋に付属する伴松軒(ばんしょうけん)といった茶室が配され、開放的な茶会庭園としての趣をもっている。
moroto.jp/index.html
所有者:公益財団法人諸戸財団
公開|期間限定(詳細は公式サイトにて)
02430
2003.05.30(平成15.05.30)
旧広瀬家住宅|ひろせけじゅうたく:新座敷|しんざしき
八木甚兵衛
明治22年|1889年
愛媛県新居浜市上原二丁目3904番2
※)旧広瀬家住宅は,住友家(本店)の初代総理人を務めた広瀬宰平の建設した住宅である。明治20年代に移築・新築併せて全体が整備された。主屋及び新座敷には巧緻な技巧による優れた意匠を備える他、眺望を意識した部屋を複数持つなど、住宅機能のみに留まらず迎賓館としての役割を兼ね備えた平面構成も特徴的であり価値が高い。明治22年建築、新座敷には15畳敷の新座敷の北側に10畳の次の間を配し、東南北の三方に縁を廻らす。北西には茶室を設け、南縁西端から廊下を介して湯殿を設ける。座敷、次の間とも棹縁天井とし、座敷には二畳敷の上段風の床と琵琶床を備え、内法長押を廻して欄間、釘隠等に意匠を凝らす。
city.niihama.lg.jp/soshiki/hirose
所有者:新居浜市
公開|休館日あり
02455
2004.12.10(平成16.12.10)
旧朝倉家住宅|あさくらけじゅうたく
大工棟梁:秋元政太郎
大正8年|1919年
東京都渋谷区猿楽町29番地
旧朝倉家住宅は、東京都渋谷区猿楽町に所在し目黒川渓谷に向かって落ち込む急勾配の南西斜面の一画を占める。東京中心部に残る大正期の和風住宅は接客のための御殿、内向きの座敷、茶室など、機能に応じ異なる意匠でまとめた良質の建物と庭園が良好に保存されている。四畳半の茶室は中央に半畳大囲炉裏を切り、エッジの効いたシャープな印象をもたらし、ほぼ正方形にくり抜かれた大きな窓には壁内に引き分けの障子が入り、開放時には庭園の景色が茶室の土壁と対比し美しい景色を生み出す。隣室の深四畳の小間には外壁側に大きく円窓と細かな縦格子の障子が美しい。
city.shibuya.tokyo.jp/shisetsu/bunka-shisetsu/asakura/asakura_00004.html
所有者:国(文部科学省)|管理:渋谷区
見学可(一部非公開)|休館日あり
02484
2006.07.05(平成18.07.05)
旧堀田家住宅・書斎棟|しょさいとう
久田宗参
明治23年|1890年
千葉県佐倉市鏑木町字諏訪尾余274番地
※旧堀田家住宅は最後の佐倉藩主である堀田正倫が建て明治23年にほぼ完成したとされる。書斎棟には茶室を備え内外とも瀟洒な数寄屋風意匠になっている。庭園や眺望に対応した多彩な接客空間を異なる意匠で纏め上げ完成度の高い上質なつくりは近世以来の伝統技法をよく継承した大規模和風住宅である。
city.sakura.lg.jp/soshiki/bunkaka/bunkazai/sisetsu/hotta/4595.html
所有者:佐倉市
見学可(一部非公開)|休館日あり
02495
2006.12.19(平成18.12.19)
野村碧雲荘|のむらへきうんそう
藪内透月斎/北村捨次郎
昭和2年|1927年
京都市左京区南禅寺下河原町37番2、同南禅寺福地町57番
野村碧雲荘は池を囲み借景をいかした庭と高度な数寄屋技法を用いた近代和風住宅。巨木の床柱が印象的な八畳書院式の花泛亭。織部の又好みの意にて燕庵を更に得庵翁の好みに作った三畳台目、台目下座床がつく又織庵。利休好み二畳中板の席で台目床畳床侘草庵を強調した南光庵。林泉には深三畳台目で三角向板入りの舟茶室で藪内家の雲脚席と同じ構えの蘆葉。羅月と名付け月見台としても使われる羅月などが建つ。
hekiunsou.jp
原則非公開|見学会開催あり
02496
2006.12.19(平成18.12.19)
旧野﨑家住宅|のざきけじゅうたく
速水宗筧
天保4年頃|1832年頃〜
岡山県倉敷市児島味野一丁目11番19号
※諸戸家住宅は,米の売買,土地経営などで財をなした初代諸戸清六が居宅兼事務所として建設したものである。池の東には大きな藤棚を伴う藤茶屋、西には推敲亭(すいこうてい)野﨑家は大規模な塩田の開発、新田開発にて大地主となる。天保四年頃の建築と考えられる母屋には四畳半と四畳、嘉永五年(1852)建築の表書院には四畳半の茶室、また江戸末期建築と考えられる庭園内には三席の茶室がある。築山上の観曙亭は二畳台目、北側に水屋道庫がつき角切本勝手となっている。西に位置する容膝亭には又隠の写しとされる四畳半の席と、この丸炉の二畳中板席とがあって、侘の茶亭としての本分を示した席名である。更に北西にある臨池亭は三畳台目向切本勝手の席になり、その中の一畳が三角形にて円窓がつき桝床に大きめの躙口、火頭の茶道口と変化の多い侘席である。
nozakike.or.jp
所有者:公益財団法人竜王会館
公開|休館日等は要確認
02550
2009.12.08(平成21.12.08)
旧西尾家住宅|にしおけじゅうたく
離れ:武田五一
明治26年|1893年・大正15年|1926年
大阪府吹田市内本町二丁目15番11号
西尾家は近世末には仙洞御料の庄屋を務め、明治になると地主また山林業を営む資産家。明治28年上棟の主屋には床・棚を備えた味々庵と称する茶室、店の間の北に張出す三畳の茶室。積翠庵は明治26年の建築で薮内家茶室の二席があり西に燕庵写しの三畳台目茶室、東に雲脚写しの二畳台目茶室を配し、それぞれ北側に水屋を設ける。離れは建築家武田五一の設計、大正15年(1926)年の上棟の西棟玄関東には床・棚を構え棹縁天井の四畳半茶室など伝統と茶の湯の精神を感じさせる屋敷です。
city.suita.osaka.jp/kyunishioke/index.html
所有者|吹田市
観覧可|事前予約制(サイトにて要確認)
02551
2009.12.08(平成21.12.08)
石谷家住宅|いしたにけじゅうた
田中力蔵
昭和3年|1928年(大正8年〜昭和4年)
鳥取県八頭郡智頭町大字智頭396番地
石谷家は智頭宿のほぼ中央に所在し「塩屋」と号する商家で地主経営も行っていたが明治以降林業経営を拡大した。住宅は大正8年から昭和4年にかけて既存建物の一部を再利用しながら屋敷全体の造営が行われた。茶室は座敷棟に一席と古座敷の東には二畳の水屋に並び四畳半本勝手に四尺幅の上座床には墨跡窓があり、風炉先窓が付く茶室が池に張出して接続する。天井は杉のへぎ板の網代組み天井棹には煤竹を選び、また壁の腰板には防腐効果が高いとされる舟板を使用するなど使用素材も厳選された痕跡が多くうかがえる。
ifs.or.jp
所有者|智頭町、石谷樹人、石谷正樹
観覧可|休館日あり
02556
2010.06.29(平成22.06.29
清流亭 主屋|せいりゅうてい しゅおく
大工|北村捨次郎/上阪浅次郎
大正2年|1913年
京都府京都市左京区南禅寺下河原町43番5
京数寄屋建築の工匠が技を凝らした大正初期の建築。主屋には、表千家伝来の残月亭に習った間取りに、より書院的な格調を高めた意匠・手法が特徴の残月の間をはじめ、七畳の間、塗壁丸窓の丸炉の間、深三畳台目の白鷲などが設けられている。春には糸桜が美しい邸内には、その他にも寄付や、土間の中央に白川石を組み夏には氷柱を置き、春冬は炭火を盛る四尺角の大きな炉をしつらえた水石居が独立して建つ。
daimatsu-kyoto.co.jp/seiryutei
非公開
02557
2010.06.29(平成22.06.29)
杉本家住宅|すぎもとけじゅうたく
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明治3年|1870年
京都府京都市下京区綾小路通新町西入矢田町116番
杉本家は四条烏丸の南西に所在する。綾小路通に面して建つ主屋は元治元年(1864)の大火後に再建され、主屋は表側の店舗部と裏手の居室部を玄関で結ぶ、いわゆる表屋造の形式になる。棟札により明治三年の上棟と判り、菱屋利三郎と近江屋五良右衛門が棟梁を務めた。以前は門口から中庭を抜け、玄関より仏間手前の僧侶が寛いだ長三畳の控えの間を昭和11年、庭方向へ三尺分広げ応接を兼ねた茶室へと改修された。茶室は四畳半で以前の壁位置に落掛が入り壁寄りに壁厚が薄い曲面の小壁を垂り吊床の構えとして脇には広く窓を開ける。
所有者;公益財団法人奈良屋記念杉本家保存会
sugimotoke.or.jp
一般公開|公開日はサイトにて要確認
02559
2010.06.29(平成22.06.29)
琴ノ浦温山荘茶室・鏡花庵|きょうかあん
木津宗泉指導
大正9年|1920年
和歌山県海南市船尾字矢ノ島370番地1
世界有数のベルトメーカーとなった新田帯革製造所(現 ニッタ株式会社)の創業者、新田長次郎の別荘に建つ茶室。茅葺屋根に四方庇を付けた素朴な外観にて、9畳の広間周りに畳縁を設け左に一間床、右に書院、炉は四畳半切、障子の腰板には合板が用いられ、壁にはモルタルが塗られる。木津宗泉は新しいものでも有益なものは積極的に取り入れ、新田の会社が開発した日本最初の合板やモルタルを使用した。特に合板は自身の工場で開発製造した無垢の板を革の膠で貼り合わせた非常に高級な素材であった。
onzanso.or.jp
利用可/見学不可
02574
2011.06.20(平成23.06.20)
旧三井家下鴨別邸・茶室|ちゃしつ
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大正|1912年〜1926年
京都府京都市左京区下鴨宮河町58番2
下鴨別邸は「主屋」「玄関棟」「茶室」の3棟からなり大正14年(1925)に竣工。茶室は祈祷札に「慶応四年」の銘があることから以前より建っていたと推測される。南庭に面して四畳半茶室と三畳次の間が並ぶ。四畳半は南向きに席と同じ幅の踏込床がつく簡素な造りであるが三畳次の間には北面に三尺幅の床に梅鉢形に抜かれた三尺幅の日の出棚、南面には六尺幅で高さが八寸程の地袋上におおよそ四尺の大丸窓がある。四畳半踏込床北側には北面に躙口を開き、大節の床板、皮付きアカマツの床柱が立つ一畳台目の席が並び西側に一畳水屋を配する。
mitsuipr.com/sights/historic-places/10/
管理:京都市|公開/利用可
京都観光協会http:|ja.kyoto.travel/tourism/article/mitsuike
02575
2011.06.20(平成23.06.20)
旧村山家住宅・茶室棟|ちゃしつとう
玄庵:薮内節庵指導
明治44年|1911年
兵庫県神戸市東灘区御影郡家二丁目12番1号
旧村山家住宅は、朝日新聞社を創業した村山龍平の自邸。氏は大阪の財界人達との交遊を通じて次第に茶の湯の世界を楽しむようになり、藪内流の薮内節庵に就いて茶を修めた。茶室棟の入母屋造り茅葺屋根のほぼ中央が大きく矩形にくり抜かれる。茶室は薮内節庵の指導を受け明治44年に造営した三畳台目、藪内流家元の茶室「燕庵」の忠実な写しの「玄庵」と大正 7 年ごろの建築と推定される 四畳半の茶室「香雪」の2席。
kosetsu-museum.or.jp
令和6年〜令和10年補修工事中
02585
2012.07.09(平成24.07.09)
清風荘茶室・保眞斎/閑睡軒|ほしんさい/かんすいけん
閑睡軒:八木甚兵衛(ニ代)
保眞斎:江戸後期|1780〜1850年頃/閑睡軒:大正3年|1914年
京都市左京区田中関田町2-1
清風荘の起源は享保17(1732)年頃、徳大寺家の別邸として建築され、その後住友家が所有し八木甚兵衛(二代)設計にて大正元年主屋が完成後、西園寺家が使用。大正三年までに付属の建物が整う。南側に位置する茶室・保眞斎と供待ち席・閑睡軒は安政元年|1854年に建築※され明治45年、主屋の南から西方向へ曳屋される。保真斎は四畳半、床間右に脇床があり三角形の棚板が右端より伸び壁に消えていく、正面には付書院が付く。
kyoto-u.ac.jp/ja/social/hc-day/2023/18-d
所有:国立大学法人京都大学
※参照:J-STAGE[七代目小川治兵衛による清風荘庭園の作庭過程と空間的特色]杉田そらん他
02586
2012.07.09(平成24.07.09)
披雲閣(旧松平家高松別邸)|ひうんかく(きゅうまつだいらけたかまつべってい)
清水組(現清水建設株式会社)
大正6年|1917年
香川県高松市玉藻町2番1号
披雲閣は、高松城跡の三の丸に所在する旧高松城主の松平家の別邸である。大正6年に完成した本館は江戸時代の御殿を意識した伝統的な配置や意匠をもち、百四十二畳敷の「大書院」から複数の小座敷を配した「杉の間」まで、充実した接客空間を擁する。茶室は庭園を一望できる槇の間の西面に張り出した附属棟の2階に六畳の茶室を設ける。同階には便所も併設されており長時間に渡り庭園を見ながら茶も楽しむ、現代で言えばVIPルーム的な使われ方をしたのではないだろうか。
city.takamatsu.kagawa.jp/smph/kurashi/kosodate/bunka/bunkazai/shiteibunkazai/kenzo/hiunkaku.html
所有者:高松市
原則非公開|公開期間あり:利用可(有料)
02590
2012.12.28(平成24.12.28)
有近家住宅|ありちかけじゅうたく
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茶室:昭和8年|1933年
山口県山口市徳地八坂971番地、同972番地
※)宅地中央の主屋は街道沿いに建てたものを大正時代に曳屋して現在地に移したと伝わり、墨書などから明治25年の建築、大正13年の曳屋と考えられる。曳屋に際して玄関及び応接室、隠居屋、風呂場が増築されたほか、昭和8年に表座敷が増築された。表座敷は、次ノ間と客間の二室からなり、庭園に面した南面から東面にかけて畳縁をまわし、西北隅に茶室と便所を附属する。客間にトコとトコ脇、附書院を構えた本格的な座敷で、畳ドコとし、トコ脇に天袋と違棚を備える。蟻壁長押をまわして小壁や襖に金雲砂子蒔の壁紙を用い、また吹寄格天井に和風シャンデリアを吊るなど、良材をふんだんに用いた上質なつくりになる。
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02595
2013.08.07(平成25.08.07)
旧前田家本邸・茶室|ちゃしつ
設計:木村清兵衛
昭和5年|1930年
東京都目黒区駒場四丁目861番
この茶室は客人に日本の文化を楽しんでもらうため計画されたと推測する。又隠の写しとされるが、床間右壁の下地窓入り片引障子の位置に手前柱から30cm程の小壁を付け床からの引違障子、点前座の道古口には片引障子が入る。躙口は又隠が南向きに対し、この席は西向きとなるが、これは客人に茶室からも庭園を楽しんでもらうための配置計画であろう。また点前座横の障子に映る影は茶室に入る間合いを知らせる演出ではないだろうか、だとすれば少々細長い水屋からの動線も理解できる。
city.meguro.tokyo.jp/douro/shigoto/kouen/komaba.html
所有:国・東京都・目黒区|管理:目黒区
利用可
02598
2013.08.07(平成25.08.07)
旧鈴木家住宅|すずきけじゅうたく
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安永5年|1776
愛知県豊田市足助町本町20番、21番、山王6番、7番、8番
鈴木家は、近世は紙問屋、近代は土地経営などで財をなした。主屋は足助の安永の大火後、安永5年(1776)の建設で明治時代までに現在の建物が整備された。旧鈴木家住宅は、足助において最大級の敷地をもち、主屋は地区内で最古の遺構である。近世から近代にかけての建物が良好に残り、足助の大規模商家の発展過程を示す建築である。
city.toyota.aichi.jp/shisetsu/bunka/bunkasonohoka/1055582/index.html
所有: ー
利用可|休館日あり:詳細は公式サイトにて
2626
2015.07.08(平成27.07.08)
旧朝香宮邸茶室・光華|こうか
中川砂村
昭和11年|1936年
東京都港区白金台五丁目26番
「茶時」の席、社交を目的として計画された茶室?フランスで2年間ほど暮らした朝香宮允子妃も貴婦人がおしゃべりを楽しんだサロン・ド・テにて時を過ごし,妃はこの空間を日本で実現したのであろう。席は小間・広間・立礼の三席、特に小間は、四畳半上台目切本勝手、点前座の風呂先には中柱が立ち高さ240㎜ほどの腰板が入り、その先にも畳が敷かれ亭主と正客が向き合い、おしゃべりできる造りとなっている。九畳の広間では大人数で茶を通し会話が弾み、土間の立礼席では主に洋装にて時を過ごそうとしたのではないだろうか。
teien-art-museum.ne.jp/garden/
所有:東京都
一部見学可|広間:茶会開催期間あり
2648
2016.07.25(平成28.07.25)
旧長谷川家住宅|はせがわけじゅうたく・離れ|はなれ
 ー
明治28年|1895年(主屋;江戸中期|1883-1897)
三重県松阪市魚町1653番地
高度な染織技術を古来より継承した松阪市の紺屋は松阪縞の木綿製品を江戸大伝馬町に大店を構え財をなした。長谷川家も木綿問屋を営んだ松坂を代表する豪商で江戸中期に建築された主屋を中心に敷地を広げ、増築・新築を繰り返しながら大きな屋敷となる。主人は、紀州藩役所の仕事をしながら、余暇には茶道や和歌・俳句などの文芸活動を嗜み、茶道の千宗室とも親交があったとされます。四畳半の茶室は主に来客用と思われ、日本庭園に面して建ち離れの座敷と渡り廊下でつながる。
matsusaka-rekibun.com
所有:松阪市
見学可|休館日(サイトにて公開)
2652
2016.07.25(平成28.07.25)
臥龍山荘・不老庵|ふろうあん
中野寅雄
明治34年|1901年
愛媛県大洲市大洲字勘兵衛屋敷411番地
客をもてなす展望喫茶室構えの茶席?不老庵は,肱川を見下ろす崖地に懸造※で張り出す数寄屋造。八畳の不老庵、三畳茶室と一畳水屋から成る。不老庵は崖側に二間幅の床間、三方は欄干付きの濡縁で囲まれ、それぞれに一間半の引違い障子と引込の雨戸が入る。席前に位置し客人の入席を知れる三畳茶室は半間脇床付き床間と相対し一間押入れが付き、直交して押入れ前の点前座と思われる短手両側に不老庵へと続く濡縁と水屋の出入り口があることから不老庵は客席で茶室三畳は厨房及び休憩室用だったのではないだろうか。席を囲む濡れ縁は客人が多い時にはサービス動線の役割も果たし、不老庵の質素な形式の床間には海外の希少な品々が人々の目を楽しませたに違いない。
garyusanso.jp
所有:大洲市
見学可
2665
2017.07.31(平成29.07.31)
聴竹居(旧藤井厚二自邸)・茶室|ちゃしつ
藤井厚二
昭和6年|1931年
京都府乙訓郡大山崎町大字大山崎小字谷田77番
自他ともに認める「茶室建築の革命」を実現した茶室は製図板上で緻密にデザインされた茶室だ。傾斜地に建つ小庵は土台を傾斜に沿って伏せてあり、人工物の建築であるにも関わらず、まるで地面より湧き出たようだ。一畳台目中板入りの茶室には大きめのガラス戸と障子を組み合わせた躙口、点前座には中柱が立ち窓台付き風呂先窓には引違い障子が入る。六畳大の閑室には一間半の地袋と右手に約四尺の棚下には半間の引込竪組子障子の地窓が入る。二間幅の竹の落し掛けと天井の意匠にて壁面全体が床間となる。寄付きともなる板敷の部屋は関室、茶室共に2枚の引込み襖で仕切られ、2室あるいは3室を一席としても使用したのだろうか。机前の角には市松模様の4つの小窓に、それぞれ引込み障子が入る。
chochikukyo.com
所有:株式会社竹中工務店
見学可(開催日はサイトにて公開)
2676
2017.11.28(平成29.11.28)
松殿山荘|しょうでんさんそう
高谷恒太郎
大正8年~昭和3年|1919年〜1928年
京都府宇治市木幡南山18番地
山荘流、流祖高谷宗範が大正7年より茶道の起源である広間の茶、書院式茶道の振興と,茶室の近代化と改良を目指し十有余年をかけ自らが設計。当地は平安時代末期関白であった藤原基房、別名松殿基房の別荘地であったと伝わる。敷地の中央に建つ本館の周囲には大小の茶室群などを配置し庭園は茶席に合わせ、それぞれに主景、借景となるように工夫している。茶室は東向き十畳次の間八畳を持つ中書院、別名瑞凰軒、十八畳立礼席の眺望閣、三畳台目の貴人躙口を備えた不忘庵を始めとして17席。
shoudensansou.jp
所有:公益財団法人松殿山荘茶道会
一般公開(10名以上にて事前申込み必要)|特別公開期間あり
2678
2018.08.17(平成30.08.17)
臨江閣茶室・畔堂|こうどう(平成20年命名)
今井源兵衛
明治17年|1884年
群馬県前橋市大手町三丁目1番2
群馬県の迎賓館として明治17年に建築された臨江閣本館と同年に併設された茶室。四畳半と八畳の二席、水屋、腰掛待合、露地を備える。四畳半の席は本勝手に幅四尺の踏込下座床で角柱を隠した室床、脇に火灯口が備わる。八畳広間には腰掛待合との壁面に印象的で大きな火灯窓が空けられている。特にこの茶室は県令(県知事)楫取素彦を代表に県職員の有志による募金で建てられた。建築年の明治17年は楫取素彦が元老院議官となり、この地を去る年であり置土産として群馬の地に茶道が隆盛することを願う気持ちを形として残したとされる。
rinkokaku.maebashi-park.com
所有:前橋市
見学可(休館日あり|施設利用可(事前審査あり)
2679
2018.08.17(平成30.08.17)
旧遠山家住宅・茶室|ちゃしつ
今井源兵衛
昭和12年|1937年
埼玉県比企郡川島町大字白井沼字烏足675番地1
※旧遠山家住宅は,埼玉県中部の田園地帯に所在する。日興証券創立者の遠山元一が郷里に建てた邸宅で,昭和11年までに住居部分が竣工し,その後,茶室などが整備された。
e-kinenkan.com/
所有:公益財団法人遠山記念館
見学可(休館日:要サイト確認)
2682
2018.08.17(平成30.08.17)
旧川上家別邸・茶室|ちゃしつ
 ー
明治17年|1884年
岐阜県各務原市鵜沼宝積寺町三丁目82番地
旧川上家別邸(現:萬松園)は,女優として活躍した川上貞奴の別邸として昭和8年に建築された。敷地は国の天然記念物「名勝木曽川」の区域内にあり木曽川の雄大な景勝を望む1000坪の敷地に、建坪150坪、26室(玄関、広間棟・仏間・客間棟・浴室棟・茶室・田舎家棟・台所・女中部屋棟)を雁行型に配置している。庭園内には外壁側に張出した室床(ほら床)が個性的な茶室を配する。
sakura-hills.jp/history/
管理:萬松園
見学可(事前申込)日程はサイトにて要確認
2742
2022.09.20(令和4.09.20)
小栗家住宅・書院及び茶室|しょいんおよびちゃしつ
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明治前期|1868年〜1872年頃
愛知県半田市中村町1丁目18番地
※半田市の中心部に位置する。近世から醸造業・肥料商で財を成した小栗三郎兵衛家が、幕末から明治にかけて整備した屋敷群。とくに隆盛を誇った明治前期に建てられた主屋は大規模で、豪壮かつ繊細な仕上げが為された梁組を持つ土間は見応えがある。また、主屋や隠宅の座敷や茶室は、数寄屋風意匠と、煎茶文化の影響とみられる中国風意匠を巧みに取り入れ、意匠的に優れている。広大な敷地には多数の付属建物が残り、 いずれも質が高い。半田の繁栄を物語る近代和風の豪邸として評価される。
ogurike.com
個人住宅
通常非公開(個人住宅)
2751
2022.12.12(令和4.12.12)
外村家住宅|とのむらけじゅうたく・新座敷|しんざしき
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昭和9年|1944年(主屋:明治前期)
滋賀県東近江市五個荘金堂町521番地
※)外村家住宅は、いわゆる湖東と呼ばれる近江商人の発祥地。主屋は明治前期の建築で茶室がある新座敷は昭和9年の建築で、京都の三上吉兵衛の手になる続き間座敷と茶室からなり、良材を使用した上質な接客空間を持つ。
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所有者:外市株式会社
見学可(休館日あり
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2024.01.19(令和6.01.19)
吉田松花堂・茶室|ちゃしつ
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明治29年|1896年
熊本県熊本市中央区新町4丁目1番71
※吉田松花堂は医学を修めた初代吉田順碩が開発した「諸毒消丸」の製造・販売を家業とする商家で、熊本城下の市街地に大規模な敷地を占める。主屋は明治11年建築で、通りに面して鼠漆喰塗りの重厚な構えを見せ、造付けの薬棚や旧製薬場、イッカクの角を用いた違棚など家業にまつわる設えが独特で、中国風意匠の二階座敷、華やかな杉戸絵など意匠的にも優れている。賓客の宿泊施設にもなった端正な広間の十五畳、材の取り合わせが華やかな茶室などを含め、意匠の優れた近代和風建築群として価値が高い。
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吉田松花堂
薬屋店舗
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2024.08.15(令和6.08.15)
對龍山荘|たいりゅうさんそう
伊集院兼常・島田藤吉
明治29年|1896・明治38年|1905年頃増改築
京都市左京区南禅寺福地町22番地1
南禅寺門前一角の広大な敷地に茶人で建築と作庭に優れた技術者伊集院兼常の別荘であった。既存の聚遠亭と茶室に、東京の大工棟梁島田藤吉が對龍台と居間棟などを増築・改修して、明治35年(1902)に竣工した。右手に居室、左に対龍台と名付けられた書院、中央奥に庭に突出するようにして茶室郡という構成である。庭園に面した茶室群は八畳代目の聚遠亭より北方向に三畳の次の間が付く四畳半の席、四畳の水屋、四畳向板道安囲の席と変化に富んだ構成である。
tairyu-sanso.jp
所有者:株式会社ニトリホールディングス
公開(休館日あり)

※)文化庁:文化財データベースより抜粋・引用