| 水無瀬神宮 燈芯亭:Toushin_tei (重要文化財) 好み:御水尾天皇(1596〜1680) 創建:寛永の頃(1624〜1644) 様式:草案風書院 所在:大阪府三島郡島本町広瀬3丁目10−24 |
| 水無瀬神宮は大阪から東海道線に沿って京都方面に進んでいくと京都との県境、国宝茶室「待庵」へも1Kmほど手前に位置する。古くは貞観年中文徳天皇の皇子、惟喬親王(これたかしんのう|844〜897)の別荘があったと伝わり、鎌倉時代には後鳥羽天皇(1180〜1239)が別殿を建てた地であり、藤原家を祖とする公家の水無瀬家が上皇の遺言にて、この地を拝領し水無瀬御影堂を建て、上皇の御影を掲げ冥福を祈った。 明治には後鳥羽、土御門、順徳の三天皇を合祀されて御影堂を神社に改め、水無瀬神宮と称し今日に至る。 境内には昭和60年に大阪府内で唯一「全国名水百選」に選ばれた「離宮の水」が湧く。 |
平面図

天井伏図

展開図
北 面

東 面

南 面

西 面

| 今ではすっかり住宅に囲まれた水無瀬神宮の境内に建つ茅葺寄棟造の茶室は以前「七草の席」とも呼ばれていた「燈芯亭」あるいは「燈芯の席」である。寄棟造と言っても棟の両端には小さな妻が付くので入母屋造にも見える、茅葺き入母屋造の建物といえば、どことなく地方の野暮ったい建物を想像しがちだが、この燈芯亭は一味も二味も違い、さすが御所から賜ったとされる茶室には、どことなく華奢で洗練された静けさを纏った由緒正しい建物で国の重要文化財に指定される。 三畳台目の席を象徴する天井は格縁を升目に組んだ格天井だ、それも4〜5cm空けた2本の格縁を一対とした手の込んだ造りとなっている、さらにその格縁の間には九十九草(つくもそう)葭(あし)木賊(とくさ)苧殻(おがら)萩(はぎ)の草類と竹、寒竹に加え柿、縞柿、桐、桑、山吹を用いており、なんとも職人泣かせの仕上げで 「どんな野郎がこんなに複雑で手の込んだ天井を考えたものか、頭の中を覗き込んでみたいもんだ」と職人の声が聞こえるようだ。 特に電動工具や替刃など便利な道具のない当時、柔らかな草類を寸法通りに綺麗に切るため道具の手入れには骨を折ったであろうと思われる。 席の北側には奥行き450㎜の床間と張壁の違棚、手前の一風変わった給仕口には縦枠と鴨居を兼用するほど直角に近く曲がった梅の木が使われ、矩曲がりに茶道口が設けられる。この出隅には赤松の丸太、茶道口脇には少々太めの竹を用い、いやはやなんとも縁起良く洒落の効いた松竹梅という貴族らしい遊び心を発揮した取り合わせだ。 この点前座には真っ直ぐな椎丸太が用いられた中柱が立ち袖壁の下部は吹き抜けで、風炉先窓が空けられている、さらに窓手前に上段が長い「雲雀棚」が付くなど明らかに書院の茶室に草庵風の意匠も取り入れているが現代人の私には全く違和感はない。 席の東側には三畳台目大の水屋が付き、席と水屋の周りは縁で囲まれ建物の南西2方向には雨戸が入る。この縁が軒の深さを強調し端正な入母屋造りの屋根を軽やかに浮かび上がらせる外観に一役買っていることに間違いはないだろう。 水屋 燈芯亭の水屋には約1850x370㎜と約1200x865の接した簀子敷きがある。書籍には、この水屋の使用目的が不明とされ室名も「大流し」や「簀子の間」「勝手の一部として無記名」と表記は様々だ、そんな中、安楽島竜仙(あんらくじま りゅうせん)が『茶道庸軒流』という著書の中で 「水屋は「水谷」と称されていた。現存している燈芯亭の水屋の中には浴室があるように、元来、点前をする前には沐浴して身を清めた。水谷の谷は、「氵(さんずい)」に谷、即ち浴の字から出たものである」と記している。 確かに表千家「点雪堂」には沐浴の目的で設えたであろうとする簀子の間があるが、この点雪堂は利休像を祀り供養する茶室であり、沐浴を行い身を清め故人と向き合うための場であり、その目的は明らかだ。しかし燈芯亭では身を清める意味が定かではない、そもそも茶の湯では身を清めてから点前をするのであれば、他のどの茶室にも沐浴場があって然るべきだが、沐浴場を設えた茶室は見当たらず何故、燈芯亭には沐浴場と思われる簀子張りの部屋があるのか謎なのだ。 |
