飛濤亭|Hitou Tei
| 仁和寺は仁和4年(888)に創建された寺院であり、京都駅から北西方向に位置する真言宗御室派の総本山である。仁和寺創建より約450年後、室町時代(1336〜1573)を起源とされ現代ではすっかり夏の伝統行事となった「五山送り火」の「左大文字」と「鳥居形」のちょうど中間あたりだ。 二王門から境内に入り中門の手前、左側に建ち儀式や式典に使用される御殿の中心建物「宸殿」の北東方向、池を隔てた高台に飛濤亭がある。 この茶室は光格天皇遺愛の席と伝えられ幸運にも明治20年5月15日の火災を免れた。 古くは飛濤亭脇に植わる老松が池の水面にまで枝を伸ばし、波が立つと枝先に飛散る露の様子から飛濤亭と名付けられたようだ。 |
平面図

展開図
北 面

東 面

南 面

西 面

くつろぎの茶室「飛濤亭」
| 飛濤亭は四畳半の席に床幅4尺9寸ほどの洞床が東側に張出す。四畳半席の北隣には一畳半の水屋兼廊下、さらに大炉を備える二畳の勝手に一畳半の土間へと続く。 飛濤亭の南西には土間庇が付き、床仕上げの三和土には赤と黒の小石を散らし南側には貴人口が入り角柱を挟み西側にも引違いの腰障子が入る、この障子を取外すと、なんとも開放的で優雅な茶室が出現するのだが、これは席の対角線上である北西方向が土壁と、墨色に近い太鼓張襖で構成され、明かり窓は一切なく、また天井も低く重たいイメージに構成された空間とは対象的に明るく開放された空間構成が生かされているようだ。 洞床は床框を入れずに畳より15㎜上げ、板を用いた踏込床で、落掛も無く土壁を塗り回しただけの床間は、とても洒落ており床間の脇には全体にナグリ目を付した栗の床柱を立て草庵風の中にも気品さえ感じられる。 天井は点前座をかなり低い蒲の落天井、床前を網代天井とした他の二畳ほどの正方形をした天井は隅木を置いた竹垂・竹木舞の化粧屋根とし中央部はかなり高く、天井も隅木を入れることにより席の対角線を意識したと思われるのだ。 飛濤亭の外観にも目が引かれる。中でも正面の南面は特徴的で茅葺入母屋造りの屋根を土間部分のみ直角に切取り、茅葺きの下に杮葺きの屋根を配し、そのまま室内の天井仕上げとしているところなどこの茶室を設計した人物は相当、建築に詳しく空間構成にも独特の鋭い閃きを持った人であっただろうと思われる。ただし、この納まりは施工上かなり難しく風雨が強烈な天候であれば雨漏りしたのではないだろうかと心配になる。 飛濤亭は、当時として侘の手法を取り入れた四畳半の斬新な茶室であったと思われ、精神性の追求をおこなう茶室空間とは異なり心を開放し、くつろぎを追求した茶室である。 |
