表千家 點雪堂「祖堂」

表千家「點雪堂」


表千家 點雪堂:tensetu_dou
好み:吸江斎(きゅうこうさい)
創建:元文5年(1740)頃(如心斎|茅葺き小堂)
再興:天明8年(1788)頃
様式:草庵式
所在:京都市上京区小川通寺之内上る本法寺前町597

三千家にはそれぞれに祖堂すなわち利休堂がある。

裏千家では仙叟が元禄三(1690)年の利休百年忌に廟屋を建てて利休像を安置したことに始まり現在では「利休御祖堂」別称「清寂院」を席名とする三畳中板に炉が切らた席がある。武者小路千家には明治時代中期に一指斎によって建てられた「利休堂」と称する四畳半の席、そして表千家には「點雪堂」が建つ。

點雪堂は表千家7代如心斎(1705〜1751)が利休百五十年忌に祖堂として茅葺の小堂を建立したことに始まり、堂内には仏師隠慶作の利休像を祀った。しかし天明8(1788)年、宮川町団栗辻子の民家から出火し京都市1967町中1424町が焼失した天明の大火にて、表千家もその災から逃れることは出来ず、この祖堂も焼失してしまった。しかし翌年の寛政元 (1789)年、表千家8代啐啄斎が利休二百年忌開催に向け再興されたと伝わる、ただし今の利休座像は寛政2年作とされ、堂もこの年であったとも考えられるようだ。

この啐豚斎が再興した祖堂を原型として、天保10(1839)年、利休二百五十年忌に表千家10代吸江斎(1818~1860)が独立した西向きの建物へと改築を行い、明治三十年に発生した火災で表千家を象徴する不審庵は消失してしまったが、この點雪堂は焼失を免れ表千家最古の遺構として現在に伝わる。
表千家「点雪堂」

表千家 點雪堂「祖堂」

西向きに建つ點雪堂は茅葺切妻造りで正面には深い柿葺の庇を付け右隅に躙口と、やや左上には下地窓をあける。席は四畳半で躙口の真向かいには、台目二畳四方の畳敷上段の間が備わり正面に利休坐像が祀られ、その前に丸窓があき4本両引分の障子が入る。

この上段の間を通常の床間と見立てると典型的な利休四畳半の間取りとなるが、点前座には火灯口を開け鴨居上に一枚板を配し、その上は吹き抜ける仕切り壁が付く、いわゆる道安囲いを取り入れ点前座には道庫が備わる。

上段の間は、もちろん茶聖千利休と向き合い読経の場である、天井は多くの寺社仏閣、あるいは城閣でも見られるように、格式高く格天井としている。しかしそこは草庵茶室として寺社仏閣等に見られる角材ではなく、丸竹3本と小丸太3本を等間隔で直行させるという高度な大工技術を生かした仕上げとしている。
上段の間左側、北面には一段高い板敷の床間が造られ茶席側の壁には墨跡窓があき、赤松皮付の床柱には花折釘を打つ。

右側、南面には書院に見立て、円弧を描く木角材の壁止めが入り、その外側には引違いの障子が入る、さらにその上には下地窓があき掛障子が掛けられている。

平面図

展開図

北 面 1

点雪堂 北面1

北 面 2

点雪堂 北面2

東 面 1

点雪堂 東面1

東 面 2

点雪堂 東面2

南 面

点雪堂 南面

西 面

点雪堂 西面