玉林院 霞床席

玉林院 霞床席

南明庵 平面図

玉林院 南明庵平面図

南明庵の変遷

慶長頃の境内図

「玉林院」慶長頃の境内図

慶長14(1609)年に消失したと推測される玉林院。

寛保元年以前の境内図

「玉林院」寛保元年以前の境内図
元和7年(1621)、消失から約10年後に客殿・玄関・庫裡・茶堂等の再興を果たし、その後寛保元年(1741)までの120年間で北側に増築されたようである。
鴻池氏の意向により牌堂建設に当たり「網」部分を解体したと思われる。

寛保二年以降の境内図

「玉林院」寛保二年以降の境内図

「南明庵」奉行所本願絵図

「南明庵」奉行所本願絵図
寛保二年玉林院より奉行所へ届出された絵図、室名等記載は絵図に基づき記載している「網」部分は既存建築物であろうと推測している。本絵図の表題は「本願絵図」としていることから、事前に何度か奉行所と事前打ち合わせを行ったとも考えられ、この辺は現代でもよく行われる役所間との事前調整と思えば間違いないだろう。

「南明庵」奉行所追願絵図

「南明庵」奉行所変更願絵図
奉行所追願絵図である、いわゆる設計変更申請である。仏間東側の四畳半、土間、四畳、床付四畳半のレイアウトを変え仏間の東側に床付四畳半を隣接させている。この絵図でも「蓑庵」と「南明庵」と記載されているが「霞床席」の記載はなくただ「四畳半」と表記され、水屋付き廊下が延長されている。

※各図参照:『重要文化財玉林院南明庵及び茶室修理工事報告書』 国立国会図書館デジタルコレクション

「玉林院」の詳細説明は「玉林院 蓑庵」にて

Gyokurinin | Kasumidoko no seki

奉行所届出本願絵図には描かれておらず、南明庵創建当初には計画されていなかった四畳半席の「霞床席」は席の東側に間口一間、奥行半間の床間を設け大平壁と離して違い棚を吊る。床間にはほぼ床間幅と同じ富嶽図を掛け、手前の違い棚を霞のように見せていることから「霞床席」と呼ばれるとされるが作者の真意は定かではない。

床間は三方とも天井まで張壁仕上げである一方で席の壁は鴨居高より下は全てが張壁で上は塗壁としており、特に南面には引違いの腰障子と片開き戸が入り、この開き戸を襖として張壁と同じ紙を用いており一見すると壁であるかのように感じ席の落着き感を演出している。また鴨居とほぼ同じ高さに入る張壁と塗壁の境には竹の付鴨居が入り、北山杉の面皮付き丸太の柱と共に東西南北それぞれ十六間に割って格天井で仕上げた書院茶室の空間を和らげている。

玉林院 「霞床席」

平面図

霞床席 平面図

展開図

北 面

霞床席 北面

東 面

霞床席 東面

南 面

霞床席 南面

西 面

霞床席 西面

「霞床席」は突然に?

大徳寺塔頭玉林院に建つ鴻池家位牌堂「南明庵」の建立に関しては先の「蓑庵」にて簡単に書いたが詳しくは「玉林院」WEBサイトの「しょうりん71号」を見てほしい。

「霞床席」は寛保元年、奉行所に届けた「本願絵図」には記載がなく当初は計画されていなかった、と思われる茶席だが、その絵図には「土間」と表記された一室がある。

庫裏や居間の建物であれば色々と作業を行うための土間も必要であろう、しかしこの建物は位牌堂であり「土間」が必要とされる建物とは思えず、なにやらアヤシイフンイキを感じるのである。

さらに南明庵建立の経歴にも不思議だ、と感じる記載が残る、それは奉行所へ南明庵建立の「本願絵図」を届出されたのは寛保元年9月で、その同じ月に工事が着工され、さらに2年後の寛保2年3月に設計変更にあたる「追願絵図」を申請し4月22日には完成している。本願届出は奉行所と事前に打ち合わせをしておけば届出をした、その月に工事着工しても不思議ではない、しかし追願届出を行った翌月に工事が完成することに「そんな馬鹿な」と、思うわけである。

そこで「ははーん!奉行所とは話ができていたんだな」と勘ぐりたくもなる。
建立当初から少なくとも鴻池了瑛は「霞床席」をも設けた位牌堂を希望し大龍和尚も了瑛の希望を叶えようと計画したのであろう。ただこの計画に奉行所も加担していたのか否かは計り知れない。

もしかすると「当初は『土間』として記載して工事が始まったら『間取り変更』あるいは『使用用途変更』すれば良いのでは?」と粋な助言したのかもしれない。

いずれにしても現在、国の宝「霞床席」が建築されたのは奉行所を始め大龍和尚、龍門和尚、そして施主の鴻池了瑛のおかげであることに間違いはない。

「霞床席」の席名は床間に掛ける富嶽図の前に霞に見立てた違棚を吊ったことに由来すると伝わる、しかし私は当席を完成できたのは施主である鴻池了瑛や弟子である龍門和尚、そして何より奉行所の人々と垣根を超えた交友関係を表す言葉「雲霞之交」から、現代「霞」を表していると伝わる違い棚は、一段が「雲」でもう一段は「雲」を表し、建立に携わった人々に感謝を込めて頭の二文字目を抜き取った!と、とても心温まる話として終わりたい。